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タケダノリヒロ( @NoReHero)
MITメディアラボで所長を務める伊藤穰一さんの『教養としてのテクノロジー―AI、仮想通貨、ブロックチェーン』を読みました。
私が初めて伊藤さん(通称Joi)のことを知ったのは、WIREDに掲載されたオバマ元大統領との対談記事(16年12月)。
記事冒頭には「テクノロジーがもたらす未来を語るべく、オバマが対談相手に選んだのは、MITメディアラボ所長・伊藤穰一だった」と書かれており、「そんなにすごい人がいるのか!?」とびっくりした記憶があります。
このところ佐藤航陽さんの『お金2.0』や、落合陽一さんの『日本再興戦略』など、テクノロジーの発展に伴う社会の変化に関する本が相次いで出ていますが、Joiさんはどんな風に日本の未来を見ているのでしょうか。
この記事は本全体の要約ではなく、「キーワード」に着目してまとめています。
シンギュラリティ、ブロックチェーン、ベーシックインカム、ICOなど最近よく聞く言葉から、アテンション・エコノミー、ローカル・リテラシー、アンスクーリングなど知らなかったものまで。
これらのワードについてJoiさんはどう考えているのか、それらが私たちの人生にどう関わってくるのか、考えてみました。
「AI」は「労働」をどう変えるのか?
資本主義において称賛されてきた「規模こそすべて」という考え方に警鐘を鳴らし、人工知能が進化する未来における人間の労働について解説しています。
スケール・イズ・エブリシング
- シリコンバレーや巨大IT企業を中心に「スケール・イズ・エブリシング(規模こそすべて)」という風潮があるが、規模が大きくなりすぎると競争が起こりにくくなり、イノベーションが失われる。権威主義に陥る恐れも。
- 1つに集中させるのではなく、たくさんの組織やサービスに分散させたほうが「レジリエンス(回復力、しなやかさ)は高いはず。
- 「シンギュラリティ教」信者は、技術がすべてを解決すると思っている。
- シンギュラリティ(技術的特異点)は、人工知能(AI)が人類の知能を超える転換点(アメリカの未来学者レイ・カーツワイルが提唱)。
- 「アルゴリズムさえ良くなれば、コンピュータが全部やってくれるだろう」は危険な考え方。
こうしたシンギュラリティ信仰に基づく「テクノロジー・イズ・エブリシング」の考え方が、冒頭であげたような資本主義的な「スケール・イズ・エブリシング」の考え方につながり、本来は社会を良くするためにある「情報技術の発展」や「規模の拡大」が自己目的化して、さまざまな場所で軋轢や弊害を生み出しているように思えるからです。
引用:教養としてのテクノロジー―AI、仮想通貨、ブロックチェーン | 伊藤穰一
科学技術の進展に関してよく耳にするのが「人間の労働がロボットに置き換えられる」、ともすれば「人間の仕事が奪われる」という議論。
でも、人間の労働は経済効率だけで語ることはできない、まず「労働=<働く>」とはどういうものなのか、定義することから始めなければいけないというのが著者の主張です。
アテンション・エコノミー(関心経済)
- 「アテンション・エコノミー(関心経済)」(1997年にアメリカの社会学者マイケル・ゴールドハーパーが提唱)。
- 情報過多の社会では、人々の「アテンション(注目や関心)」が情報量に対して希少になることで価値が生まれる。
- 例)広告で稼げるアクセスの多いサイト、SNSでフォロワーの多いインフルエンサーなど。
- ボランティア、家事、子育てにも価値がある。
- 経済効率や生産性だけではないGDPの測り方が必要(ノーベル経済学賞受賞者のジョゼフ・E・スティグリッツが提唱)。
ユニバーサル・ベーシック・インカム(UBI)
- 「ユニバーサル・ベーシック・インカム(UBI)」は、すべての国民に政府が生活費として一定額を支給する制度。
- 現行の生活保護や失業保険などのセーフティーネットに替わるものとして一本化することで支給コストを抑制、貧困対策にも効果を発揮できる。
- サンフランシスコやフィンランドでも試験的な運用が始まっている。
- UBIのお金をもらえたら働かなくなるか? → みんなが働くことをやめるとは思えない → お金のためだけに働くのではない。「ミーニング・オブ・ライフ(人生の意味)」が重要。
ミーニング・オブ・ライフ
- お金のためだけに働くことに疑問を持つ人はこれからもっと増える
- 「ミーニング・オブ・ライフ(人生の意味)」が重要になる
- 戦後日本は「とにかく経済を立て直して生産性を上げるために突き進むんだ」という目的が明確で、「ミーニング・オブ・ライフ」が誰にとっても分かりやすかった
- 「経済的価値を重視して生きることが幸せである」という従来型の資本主義に対して、「自分の生き方の価値を高めるためにどう働けばいいのか」という新しい「センシビリティ(Sensibility=感受性、敏感さ)」を考えるには面白い時期
「労働」に関する個人的な感想
本書の内容ばかり紹介していたらただのコピペになってしまうので、ここで少し個人的な感想を。急に卑近な話になりますがご容赦ください。
稼がない仕事への報酬をつくろう
価値の測り方を変えることについて。
前述の『お金2.0』(※)では、価値を①有用性としての価値、②内面的な価値、③社会的な価値の3つに分類していますが、この「内面的な価値」「社会的な価値」を実感したことがあります。
※『お金2.0』の要約記事はこちら→「『お金2.0 新しい経済のルールと生き方』(佐藤航陽)要約・感想」
先日青年海外協力隊の任期を終えてアフリカから帰国し、久しぶりに実家で数ヶ月滞在中です。
アラサーにもなって実家でブログだけ書いてるのも悪いなと思ったので、昔はほとんどやっていなかった食器洗いや風呂掃除をやるようになったのですが、母や祖母が「ありがとう」「助かった」と言ってくれるんですね。
これがけっこう嬉しい。でも、いままで母も祖母も、当たり前のように家事をやってきて、誰からも「ありがとう」なんて言われていませんでした。
母は仕事帰りでさえ料理をしたり、お弁当を作ったりしています。仕事で疲れて帰ってきて家のことをするのって、ほんとに嫌ですよね。一人暮らしをしていたからこそ、いまではそれが分かります。
「お金を稼ぐこと=働く」というイメージがありますが、家事や育児も立派な仕事なんですよね。私は家事をすることで「ありがとう」と言われることが「報酬」になり、それで自発的かつ積極的に働くことができています。
でも、世の中では家事や育児に対して、この「報酬」をもらっていない人のほうが圧倒的に多いのではないでしょうか。
もちろん家族が「ありがとう」とねぎらいの言葉をかけるだけでずいぶん違うと思いますが、それだけでなく例えば家事をすることによってポイントが加算され、ポイントが貯まったら商品やサービスと交換できる、みたいな仕組みがあれば、もっと幸せに働ける人が増えるのになと思っています。
どうにかできないかな。
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仮想通貨
仮想通貨について。
リバタリアニズム(Libertarianism)
- サトシ・ナカモトの論文「必要なのは、信用ではなく暗号化された証明に基づく電子取引システム」であり「信用に依存しない電子取引システムの提案」。言い換えると「国家なんか信用するな」
- 英語で言うと「リバタリアニズム(Libertarianism)」
- 90年代が「新しいサイバーな国には、新しい通貨が必要だ」という「理念」ありきの仮想通貨ならば、今の仮想通貨ブームは「利益」ありきの投機的な動きとなっている
- リバタリアニズムの発想から始まっているはずの仮想通貨だが、資本主義的な「スケール・イズ・エブリシング」に飲み込まれつつある
ICO(イニシャル・コイン・オファリング)
- リバタリアニズムの象徴的な存在が「ICO(イニシャル・コイン・オファリング)」
- テクノロジー系のスタートアップ企業が仮想通貨を介して資金を集める新たな手法。起業家や開発者が自分たちの提供する新しいサービスで使える「トークン(コイン)」を投資家に買ってもらい、その代金で資金調達する。
- 投資家からお金をだまし取ろうとするインチキICOが多い
- 通常の投資であれば会社が倒産しても残った資産が株主に分散されるが、ICOには返す義務がない。最終的に損をする被害者がいるような仕組みの上に成り立っている
- 仮想通貨やICOにはある程度のガバナンス(統治)が必要。それが国家による規制や干渉では意味がない
- インターネットのドメイン名、IPアドレスとポート番号の割り振りを全世界的に行っている「ICANN(アイキャン、Internet Corporation for Assigned Names and Numbers)」のような、非中心的で非営利のガバナンス機関がお手本になる
ブロックチェーン
ブロックチェーンについて。
- 「ブロックチェーン(Blockchain)」
- 仮想通貨の取引データを暗号化して、1つのブロックとして記録、管理する技術
- 取引データがネットワークに参加するコンピュータ上で分散的に管理される「分散化」「ディセントラリゼーション(decentralization)」が特徴
- 情報を持つコンピュータが一か所に集中せず、複数のコンピュータにより共有される「P2P(ピア・トゥーピア)」であるため、セキュリティを確保でき、低コストでの運用が可能
- 記録のトレーサビリティ(追跡可能性)が確保されており透明性が高く、暗号化により匿名性が担保されているため、所有権を明確にする必要がある「証券」や「通貨」など金融分野での活用が見込まれる
自然通貨
- ブロックチェーンなど新たなテクノロジーの登場により、多様な通貨が登場するとしたら大きく分けて2つの概念が存在する
- 「仮想通貨(Virtual currency)」と「自然通貨(Natural currency)」
- 新たなテクノロジーを介することで、「自然資本(Natural capital)」をより正確に低コストでコントロールできるようになる
- 例)二酸化炭素の排出量、太陽電池の発電量、マグロの漁獲、石油などにも応用できる可能性
お金に換えないほうがいい関係性がある一方で、価値をお金に換えたほうが物事を良いほうに進めやすいものもあるでしょう。(中略)
あらゆることが「価値」を持つ世界で、これからは正当にその「価値」を測ることが必要になるのではないでしょうか。
引用:教養としてのテクノロジー―AI、仮想通貨、ブロックチェーン | 伊藤穰一
「人間」とは何か
人間と都市について。
- 「人間拡張(Human Augmentation)」
- テクノロジーによって人間の身体的能力を向上させること
- 義足はなくなった身体の一部を「補う」ものだったが、科学技術の進歩により人間が持つ足よりも能力が高い義足が生まれた
- 「トランスヒューマニズム(Transhumanism)」
- 科学技術を使って人間の身体や認知能力を進化させ、人間を前例のない状態まで向上させようという思想
- トランスヒューマニズムを信じる人たち(トランスヒューマニスト)は、「人間は人間以上の存在になるために科学技術を使用すべきだ」と考える
- この考えを進めていくと、「人間と人間でないものを分ける一線は何か?」という問いが必ず生まれる
ペデストリアン・シティ(歩行都市)
- 「人間がどう変わるか?」を考えるにあたり、「都市がどう変わるか?」も避けて通れない
- アメリカの環境運動家ジェイン・ジェイコブスは、都市にとっていちばん大切なのは住む人とネイバーフッド(ご近所さん)の文化だと主張
- MITメディアラボのケント・ラーソンは「ペデストリアン・シティ(歩行者都市)」、つまり歩ける距離になんでもあるのがいいと考えている
モビリティ(移動性)・自動運転車
- 世界の都市を見るときに重要な視点は「モビリティ(移動性)」
- 都市の新しいモビリティとして「自動運転車」が話題となっている
- 自動運転について、技術的な課題はエンジニアリングで解決すべき。しかしもっと大きな課題は「倫理」の問題
- 例)横断歩道に歩行者が飛び出してきたとき、ハンドルを切って歩行者を助けるか、そのまま進んで(歩行者をひいて)運転手を助けるか
- 犠牲者に優先順位はつけられないし、その責任が運転手にあるのか、メーカーにあるのか、アルゴリズムの開発者にあるのか、いまのところ統一見解はない
都市のサステナビリティ
- モビリティと並んで世界的なテーマとなっているのは、都市の「サステナビリティ(Sustainability、持続可能性)」
- 都市のサステナビリティを考えるうえで、「グローバリズム」と「ローカリティ(地域性)」という視点が大切
- 著者は「インディジネス・ピープル(先住民)」から自然とどう暮らしていくのかを学ぶムーブメントに注目している
- 「ローカル・リテラシー(Local literacy)」とも呼ばれ、彼らの知恵をどう都市へ還元していくかを考えていく動き
いままでの「国際貢献」は、先進国などお金を出す側が、「文化的に遅れている地域」という認識で、「その地域に住む人たちを助ける」という意味合いが強かったように思います。しかし、いまは違います。彼らからローカル・リテラシーを学び、彼らが持っている知恵をいただくために活動しているのです。
彼らインディジネス・ピープルの<センシビリティ>を、つまり「考え方」や「美学」を先進国に移転しながら、これからも積極的にシェアしたいと考えています。
引用:教養としてのテクノロジー―AI、仮想通貨、ブロックチェーン | 伊藤穰一
先進国が途上国から学べること
ここでまた個人的な感想。
私は今年の1月まで青年海外協力隊として、アフリカ・ルワンダの農村部で活動していました。これからまた現地に戻って、日本人向けのスタディツアーやホームステイのプログラムをつくるつもりです。
わざわざルワンダに帰るのは、日本の人たちにアフリカの農村部の「暮らし」を体験してほしいから。
私が暮らしていたのは、子どもたちが谷底までくだって水汲みに行ったり、火をおこすための薪を林の中に集めに行ったりするような発展途上の地域です。
そんな環境なので、食事の用意をするのに2時間、3時間とかかるのは当たり前。「この時間と労力を他のことに使えばもっと生産的なのになあ」と思う一方で、妙にその暮らしぶりに「美しさ」を感じるのです。
朝早く起きて畑を耕したり、子どもが赤ちゃんの面倒を見たり、濃い近所付き合いがあったりーー
著者は「ローカル・リテラシー」を都市にどう還元していくかと述べていますが、私もそんな気付きを途上国のシンプルな暮らしから得られるのではないかと思っています。
教育
義務教育の役割も変わってきています。
産業革命後の初期は、工場労働者を輩出するため。誰もが同じ知識を持ち、規律や服従を学ぶことが必要でしたが、その後ホワイトカラーの養成に転換し「入れ替え可能なお利口さん」を育てるシステムとなりました。
これからは、これまでの「労働」がAIやロボットに置き換えられ、国を超えた競争が激しくなる時代。このようなシステムでは必要な人材が育ちません。そこで、教育はどう変わるのか?どうやったら変えることができるのか?ということが問題提起されています。
アンスクーリング(Unschooling)
- 「アンスクーリング(Unschooling)」
- 学校教育に頼らず、学校そのものが一切存在しないかのように子どもを育てるのが「アンスクーラー(Unschooler)」と呼ばれるコミュニティ
- 大人が子どもの教育をしない。子ども自身が興味を持ったことを探求するため、大人が手助けをする。
- 「セルフディレクテット・ラーニング(自発的な学習)」という哲学。何を学びたいか、どのように学ぶかもすべて子どもが決める。
- 「モンテッソーリ教育」「シュタイナー教育」とは、子どもの「自由な領域」がどこまでか事前に定義されていない点が異なる
- 「ホームスクーリング」は親が先生役を務めるため、アンスクーリングとは異なる
- ほとんどの親は勉強の意味を「将来お金がたくさんもらえるように」「将来好きなことができるように」と、「いま」ではなく「未来」に求めている
- アンスクーリングは、子どもが経済を支える人間になるよりも、自分のなかに幸せを見つける、ということが基本的なアイデア。人生における「生きがい」を考えることが、本来のアンスクーリングの哲学に近い
「フューチャリスト(未来志向者)ではなくナウイスト(現在志向者)になろう」(中略)
「イノベーションは、いま身の回りで起きていることに心を開き注意を払うことから始まるのだから、フューチャリストであってはいけない。いまの出来事に集中するナウイストになるべきなのだ」
引用:教養としてのテクノロジー―AI、仮想通貨、ブロックチェーン | 伊藤穰一
「生きがい」の見つけ方
最後に、「教育」と「生きがい」に関して個人的な感想です。
「アンスクーリング」って、これまでの教育システムからするとかなり大胆な方法ですよね。でも、現代では「やりたいことがわからない」と、まさに「ミーニング・オブ・ライフ」も、そしてその探し方さえも分からないという人が多いように見受けられます。
だからこそ『君たちはどう生きるか』という本が200万部を超えるベストセラーになっているのでしょうね。アンスクーリングのように「生きがい」を見つけられる力をつける教育が求められているように思います。
近年よく見る「Ikigai」の図。
アメリカの起業家兼ブロガーのMarc Winnさんが、日本の「生きがい」という言葉に出会って最適な英語がないこのワードを可視化したそうです(参考:TABI LABO)。
好きなもの、得意なもの、対価を得るに値するもの、世の中が必要としているものが交差するところに「Ikigai」がある、と。
英語にはない「Ikigai」という概念。日本人は本来これを見つけるのが上手だったはずです。働き方が多様化したことで、選択肢が増えて「自由」になったからこそ、生きがいを見つけるのが難しくなってしまったのかもしれません。
でも、「得意なこと」を伸ばし、「世の中が必要としているもの」を生み出していける人材を育成するためにも、自分のなかに幸せを見つけるというアンスクーリングのようなシステムが必要とされているのですね。
理解が深まる関連図書
本書『教養としてのテクノロジー』と共通点が多く、合わせて読むとテクノロジーと日本社会の変化に対する理解が深まる2冊です。
書評記事も書いています。
【書評記事】落合陽一『日本再興戦略』要約・感想~ポジションを取れ。とにかくやってみろ~
【書評記事】『お金2.0 新しい経済のルールと生き方』(佐藤航陽)要約・感想
これからの日本がどうなっていくのか、それに合わせて自分はどうやって働き、生きていけばいいのか。そういった問いについて考えたい方は、ぜひニュアンスを削ぎ落とした要約記事だけでなく、書籍を読んでみてください。
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