青年海外協力隊は「国際協力」ではなく「国際交流」?

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アフリカ・ルワンダで青年海外協力隊として活動しています。タケダノリヒロ(@NoReHero)です。

以前、世界を旅する様子を動画で発信している白尾諒(旅人くじら/  )さんに、こんなふうに紹介してもらったことがあります。

この並びに加えてもらえるのは身に余る光栄であり、うれしくもあったんですが、同時に違和感も感じました。

自分は”国際協力”をできてるのかな?」と。

その疑問について考えてみました。青年海外協力隊として活動していて「無力感」を抱いている方は、ぜひ読んでみてください。

協力隊は国際協力ではなく国際交流

国際協力界のレジェンドとされる山本敏晴さんは

青年海外協力隊は、アマチュアの国際協力とみなされている。

もっとはっきり言えば、国際協力ではなく、国際交流である。

引用元:山本敏晴のブログ

とおっしゃっています(2007年に書かれた文章なのでかなり古いソースですが)。

ぼくがくじらさんのツイートから感じた違和感の答えは、まさにこれでした。ぼくがやっていることは、「国際協力」というよりも「国際交流」に近い

おなじように感じている協力隊の方も多いのではないでしょうか。

「自分がやっていることは、任地のためになっていないんじゃないか?」

「求められているような成果を出せていないんじゃないか?」

「同僚や村の人から必要とされていないんじゃないか?」

こんな疑問を抱えながら、活動がうまくいかず「無力感」を覚える隊員も少なくないはずです。

協力隊が「国際交流」止まりな理由

なぜ協力隊はこんなジレンマに陥ってしまうんでしょうか?

その原因こそが、協力隊が「国際交流」止まりである所以でもあります。山本敏晴さんが前述のブログで書かれていることをまとめました。

・国際協力を「期間内にモニタリングしながら数字で結果を出すもの」と定義すると、期間内に数字で結果を出すことを要求されず、定期的にモニタリングもフィードバックもされない青年海外協力隊は国際協力ではない(報告書提出はあるが感想文レベルで有効なフィードバックはない)
・現地に行ったときに知り合った、周りの人々と仲良くしているだけ
・青年海外協力隊の目的が「日本のプレゼンスを示すこと(とりあえずそこにいればいいということ)」と「日本の青少年の育成」だから、自己満足の活動になる可能性が高い
・きつい言い方をすれば、途上国に対する支援が目的のスキーム(枠組み)ではない
参考:山本敏晴のブログ

シビアに見ると、青年海外協力隊という制度で達成できているのは「途上国に対する支援」よりも、「日本のプレゼンスを示すこと」と「人材育成」の方だと。

ぼくはこの指摘に何の異論もありません。これが書かれてからもう10年が経っていますが、現状はおどろくほど変わっていませんし、どれも納得できるものでした。

とは言え、山本さんは国際協力の道に進むキャリアとして青年海外協力隊を強く勧めています

青年海外協力隊という場所は本人の自主性を重んじ、非常に自由度が高い。

よって、遊んでいることもできるが、やろうと思えば、本当に意味のある国際協力を行うことも、可能である

(もちろん、いろいろな制約も実際は多いが、そういった側面も踏まえた上で活動を行うのが、プロの国際協力である。)

すなわち、青年海外協力隊という、お金ももらえ、安全も保障された最高の場所を有効に使うのも、ダメにするのも、あなた次第だ、ということだ。

日本国民の税金を無駄にしないためにも貴方の人生を、青年海外協力隊という場所を使って、飛躍させるためにも是非、最高の結果を出すことに挑戦して頂きたい。

引用元:山本敏晴のブログ

こちらの記事には協力隊の短所も長所も非常に的確にまとめられているので、ぜひ読んでみてください。

青年海外協力隊の良し悪し 5,455字 : 山本敏晴のブログ

山本さんはこのように協力隊の良し悪しを語られています。

ぼくももうすぐ2年間の任期を終えようとしている現役隊員として、すこし違う角度から「国際交流たる協力隊」を肯定してみました

必需品と嗜好品

「国際協力」と「国際交流」を比べると、前者の方が優れているように感じてしまいますよね。でも、決してそんなことはありません

たとえるなら、「国際協力=生活必需品」「国際交流=嗜好品」というイメージ(あくまでぼくの感覚です)。

必需品はなくてはならないもの。嗜好品はなくてもいいけど、あったらうれしいもの。

国際協力で提供する価値は、生活に直結している欠かせないもので、失われれば命を損なう危険すらあるもの。だから生活必需品。

国際交流で提供する価値は、なくてもかまわないけど、あったら人生が豊かになるもの。だから嗜好品。

「嗜好品(国際交流)はなくてもかまわないんだから、生活必需品(国際協力)のほうが大事だろ!」と思う人もいるかもしれません。

でも、たとえば世界からチョコレートがなくなったら?「毎日パンだけ食べて暮らせ」と言われたら?

「チョコなしじゃ生きていけない!」と発狂するレベルで困る人もいるはずです。チョコレートだけでなく、お酒やタバコなど、人は誰しもなんらかの嗜好品に頼って生きています

矛盾するようですが、嗜好品も必要不可欠、嗜好品なしでは幸せな人生は送れないんです。

だから、青年海外協力隊がやっていることが「国際交流」だったとしても卑下する必要なんてない

あなたの活動で人生が豊かになった人が、あなたの任地に、間違いなくいるはずです

「きっかけ」を与えよう

たとえば、ぼくはいま、同期の空手隊員であるカズキ師匠と空手教室を開催しています。

空手なんてまさに「嗜好品」ですよね(「空手なんて」とか言ってたら師匠にボコボコにされそうだけど)。

空手を知らなくても、生きていくうえで困ることなどなにひとつありません。

でも、前にカズキ師匠はこんなことを言っていました。

自分の名前は忘れられても、「昔日本人に空手教えてもらったなあ」って記憶が残って、それが何かに繋がればそれでいい。空手じゃなくてもいい。生きるので精一杯な子どもたちに、なにか新しい機会を与えたい。

(くわしくは以前書いた記事へ)

子どもたちがぼくらの名前を忘れてもいい。空手の道に進まなくてもいい。

でも、なにかに打ち込む楽しさや、新たな世界を知って芽生えた好奇心は、彼らのなかに間違いなく残るはず。

悲観的に捉えれば、協力隊は「ただそこにいるだけでも、途上国への貢献を示す外交のコマとして最低限の役割は果たせる」と言えます。

が、違う見方をすれば、「住民と交流するだけで、彼らに新たな体験を与えられる」という側面ももってるんですよね。

だから、「自分は国際協力じゃなくて国際交流しかできてないな」と落ち込む必要なんてない。むしろ、本気で「交流」すればいいんです

そうやって、その地域の人ひとりひとりに新たな世界への「きっかけ」を与えられるのは協力隊だからこそ。

その成果は見えづらく、すぐには評価できないものですが、いまあなたが蒔いた種が数年後に芽生える可能性だってあるんです。

焦らず、へこまず、「交流」から始めましょう。

タケダゴロク
 
10年後、ムシャ(任地)の子どもたちはどうなってるかな。

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