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ルワンダに住んでます、タケダノリヒロ(@NoReHero)です。
会社を辞めて、社会貢献の現場で働きたいと思って青年海外協力隊としてルワンダに来ました。
任期は2年間。自分にとってこの2年間は、今後の人生をどうやって生きていくか、どんな仕事をしていくかを決める時間でもあります。
ルワンダ生活も残り1年。いま考えていること、これからやっていきたいことを書き残しておきます。
顔の見える誰かの、人生の選択肢を増やす
いまいちばんやりたいと思っていることは「顔の見える誰かの、人生の選択肢を増やすこと」です。
貧困や家庭・社会環境によって、自分の意志で自分の進む道が狭められている人たち(特に子ども)の選択肢を増やすお手伝いをしたい。
それによって、その人の未来の可能性が広がれば、最高におもしろいなと。
エヴァリストの将来
たとえば、いまルワンダ語を教えてもらう代わりに学費を支援している高校生のエヴァリスト。
寄付でなく労働の対価を。先生は高校生!ルワンダ語レッスン開始!
もし学費が足りなくて学校に通えなくなってしまったら、エヴァリストの将来の選択肢は狭まってしまいます。
でも、彼が通学を継続できれば、将来条件のいい仕事に就いたり、好きな仕事を選べる可能性は高まり、そうなれば家庭を築いて子どもを育てるのも楽になる。
そうやって毎日顔を突き合わせてルワンダ語を教えてくれるエヴァリストから、5年後、10年後に「子どもができたよ!」とか「今の仕事めちゃくちゃ楽しいよ!」とかって幸せな報告をしてもらえれば、自分もすごく喜べると思う。
だから、自分の仕事を通して、そんな人をひとりでも増やしていけたらめちゃくちゃ幸せな人生を送れるんじゃないかと考えています。
きっかけは東日本大震災と税所篤快さん
そもそもいつから「社会貢献」なんて大それたことを考えるようになったんだろうと思い返してみたら、きっかけは東日本大震災だったように思います。
当時大学3年生で、就活真っ只中。
「自分はどんな仕事をしていきたいのか」「社会に対してどんな価値を提供できるのか」と、はじめて本気で考え始めたときだったので、「困っているだれかのために働く」ということを強く意識させられたように思います。
そんなときに、大学生協の本屋で目に入ったのが、雑誌『ソトコト』の11年4月号。表紙に載ってたのは同じ大学で、一学年上の税所篤快さん。
SOTOKOTO (ソトコト) 2011年 04月号 [雑誌]
バングラデシュで映像授業「e-Education Project」を立ち上げ、貧困地域の高校生を国内最高峰ダッカ大学に入学させた「バングラ版ドラゴン桜」と呼ばれる教育革命を起こした人です。
「同じ大学の同じ世代に、こんなすごい人がいるのか」と衝撃を受けました。そして、貧困地域の子どもたちの可能性を引き出した税所さんのことを、めちゃくちゃかっこいいと思いました。
社会貢献、ソーシャルビジネスってかっこいい、自分もそんな人間になりたい、そう思ったのがきっかけだったように思います。
手紙を書くように
そんな大学時代にどでかいイノベーションを起こした税所さんとは違って、27歳になった自分はまだなにも成し遂げられていません。
もちろんなにかに挑戦したり、達成したりするのに年齢は関係ないと思いますが、当時のことを思い返して「もうすぐ28か・・・」と焦りを感じたのは事実です。
けど、昔読んだ本にこんなことが書いてありました。起業家の家入一真さんの本より。
身近な誰かの顔を思い浮かべて、その人が喜ぶ様なことを、手紙を書く様にやってみる。その小さな一歩がやがて、日本中の人が喜ぶことになったり、社会問題の解決になっていくかもしれない。たとえうまくいかなくても、その身近な人が喜んでくれただけで十分だよね。最初から壮大な目標なんて持たなくていい。小さな一歩が道になり、やがて自分の歩むべき道になる。
引用元:バカ、アホ、ドジ、マヌケの成功者/家入一真
焦ってもしょうがないので、いまはいまできること、いま楽しいと思えることを全力でやるのが一番の近道だと信じてやっていきます。
「広く浅く」から「狭く深く」へ
「身近な誰かの顔を思い浮かべて、その人が喜ぶ様なことを、手紙を書く様にやってみる」
これを実践する方法として、ルワンダでの残りの1年はルワンダ人との付き合いをもっと深めていこうと思います。
これまでは家庭調査をして「広く浅く」地域の人たちと付き合っていましたが、これからは「狭く深く」相手の人生に関われるくらいの付き合い方をしていくつもりです。
半年前にはこんな記事を書いていました。友だちをつくるのって、簡単じゃないんですよね。
まだ「親友」と呼べる人はいませんが、「友だち」と呼べる人や家族のように接してくれる人たちなら何人かできました。
その出会いを大事にして、関係を深めていきます。
たった1人の誰かのために
ここで大きく方向転換をするような書き方になってしまいましたが、過去のブログを読み返してみると根本にある考え方は変わってませんでした。これは約1年前に書いた記事。
「たった1人の誰かのために」
ぼくが会社を辞めて青年海外協力隊に参加したのも、いま思えばこんな思いがあったんだと思います。
(中略)
これまでのぼくの「社会貢献経験値」は、タイの山岳民族を支援するNGOにボランティアで参加したり、東北で震災支援のNPOをお手伝いさせてもらったりと、普通の人に比べれば多いほうだと思います。
それでも「○○さんの力になりたい」とか「○○ちゃんを助けたい」と、特定の誰かを思い浮かべられるまでの深い関係性を築くことは出来ませんでした。
どうしても「手伝いをしている」という感覚が拭いきれず、自分の問題として捉えることが出来ていなかったんだと思います。
だから仮にこのまま社会貢献事業に携われてたとしても、なんだか薄っぺらいものになっちゃうんじゃないか、自分の納得のいく社会貢献なんか出来ないんじゃないかと思いました。
そこで、出て来た選択肢が青年海外協力隊です。
協力隊なら社会貢献の現場で、現地の人たちと2年間生活をともにすることで、ぼくの欲しかった「手触り感」を得ることが出来ると思ったんです。
いまはまだ1年後の自分の姿をはっきりイメージすることはできませんが、1年前にイメージした姿にはなれてました。
過去のブログを読み返すまで気づきませんでしたが、そうなりたいと思っていれば、いつの間にかそうなっているものなのかもしれませんね。
だから、大丈夫、間違ってない、と言い聞かせながら、残り1年楽しんでいきます。
タケダノリヒロ(@NoReHero)
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