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午後4時ごろ。ふと窓の外を見ると、夏みたいな雲の間から虹が覗いていました。
今日という日に何と名前をつけようか pic.twitter.com/xpSpvVAXVs
— タケダノリヒロ🇷🇼ルワンダでオンライン・スタディツアー (@NoReHero) May 5, 2020
この景色を見て脳内に流れたのは「今日という日に何と名前をつけようか」というフレーズ。あいみょんの『マリーゴールド』、2番のサビで出てくる歌詞です。
柔らかな肌を寄せあい
少し冷たい空気を2人
かみしめて歩く 今日という日に 何と
名前をつけようかなんて話してああ アイラブユーの言葉じゃ
足りないからとキスして
雲がまだ2人の影を残すから
いつまでも いつまでも このまま
この日も特になんてことない、ありふれた1日でした。でも、そんな日常を送れることこそ幸せなのかなあなんて思う今日この頃。
新型コロナの流行で、世界中の人たちの「日常」が一変しました。学校は休校になり、仕事はリモートワーク中心になり、居酒屋で集まって飲むことさえ避けられています。
誰もが知るコメディアンや俳優が亡くなり、感染症の恐ろしさや死の恐怖を身近に感じた人も多いのではないでしょうか。こんなときだからこそ、ふつうに日常を送れることのありがたさをより強く感じますよね。
そして「ムダなこと」が実は大切だったんだ、と気付かされた人も多いはずです。
オフィスに行かなくても仕事はできるけど、同僚と顔を合わせないとなんだか寂しくて、それが数週間続くと孤独感を感じるようになったとか。
出歩く機会が減ってストレスがたまり、気付いたらツイッターでもふもふの動物動画を延々漁ってたとか(私だ)。
オフィスでの同僚との雑談も、動物による癒やしも一見「ムダ」に思えますが、生産性がなくても楽しめることや気分転換になることは生きていくうえで必要なんですよね。
ムダを楽しむことこそ、人生を豊かにする。
人生の成功というと、偉業を成し遂げたり、お金をたくさん稼いだりすることをイメージする人もいるでしょう。でも、死ぬ間際に楽しかったなあって思い出すのは、もっと生産性のない「ムダ」なことなのかもしれません。
ぼくはいまアフリカのルワンダという国に住んでいますが、そう考えるようになったのはきっとこの国の人たちの影響もあると思います。
ルワンダの人たちは、よく家の外に出て、地べたや段差に腰掛けて、ぼーっとしています。近所の人たちとおしゃべりをしていることもありますが、ひとりでなにもしていない人もよく見かけるんです。
そこで「何してるの?」と聞くと、たいてい返ってくる言葉は「何もしてないよ」。
「何もしてない」ってどういうこと??
ぼくは当初それをいまいち理解できませんでした。何もしなかったら時間のムダじゃない?よく何もしないでじっとしていられるよね。日本では「なにかしなきゃ」ってせっせと動いている人も多いのになあ、と。
でも、よくよく考えたらぼーっとするって、最高に贅沢な時間の使い方ですよね。ある意味、刻一刻と過ぎゆく時をしっかり噛み締めているわけですから。
忙しさにまみれた現代社会では、時間なんて気にする間もなく「あれ、もう夜じゃん!?」「もう5月じゃん!?」とあっという間に日々が過ぎていってしまいます。
それって、もったいないですよね。せっかく与えられた時間を全然楽しめてない。もちろんなにか趣味やアクティビティをして楽しむという方法もありますが、ぼーっとして風の流れを感じたり、その風に揺れる花を眺めたり、頭をからっぽにしてリラックスしたりするのもありですよね。
だから、生産性ばかり追い求めていたら、逆にむなしい人生になってしまうのかもしれません。一生のほとんどの時間はなんてことないこと、ありきたりな時間です。だからこそそんな平凡とかふつうを愛せたら最高。
そういえば日常を愛することのあたたかさは、昔から語られてますよね。俵万智さんのサラダ記念日なんてまさにそう。
この味がいいねと君が言ったから
7月6日はサラダ記念日
だからね、「今日という日に何と名前をつけようか」なんて話しながら、日々の暮らしを慈しんでいければなあと思うのです。
歌詞がぱっと思い出されるほどよく聴いている歌からは、いろいろ考えさせられますね。
それによって自分の人生もアップデートできてる気がするからもっといろんな曲聴いて、いろんな想像膨らませていこう。
#JPOPワンフレーズ日記
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