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アフリカ・ルワンダで青年海外協力隊やってます、タケダノリヒロ(@NoReHero)です。
外務省が「ODAガール&主夫ボーイ」というマンガを出してました。「ODA(政府開発援助)」についてわかりやすく説明されており、ぼくが所属している青年海外協力隊もちらっと登場します。
【マンガ】「ODAガール&主夫ボーイ」「開発協力」をわかりやすく#マンガにしました。
ぜひ読んでみてください。 #カンボジア #是非読んでみてほしい大人でも楽しめる漫画 https://t.co/oftO7m7Wlk pic.twitter.com/yvqWZPqY9C— 外務省 (@MofaJapan_jp) September 29, 2017
マンガとしてふつうにおもしろいし、さくっと読めるのでぜひ(↑のTwitterリンクから読めます)。
当記事では、このマンガを読んで、現役の青年海外協力隊員として思ったこと、それで思い出したばあちゃんのことを書いてます。
「日本人だからって、なんで外国のために働いちゃダメなの?…でも大切な人と一緒に暮らせるのも、ただそれだけで幸せだよね」というお話。
なぜ日本人が外国の手伝いをするのか?
いちばん印象的だったシーンがここ。カンボジアに行こうとするODAガールと離れ離れになりたくなくて、必死に止めようとする主夫ボーイ(これ男女逆だったら炎上するやつ…)。
なんで日本人がそこまで外国の手伝いをしなくちゃいけないんだよ!!
彼女を想うあまりこんなことを言ってしまう主夫ボーイ。結局ふたりでカンボジアへ視察に行って…というお話なのですが、ぼくはここで自分の家族のことを思い出しました。
アフリカ行きを伝えたばあちゃんの反応
「会社を辞めて、青年海外協力隊としてアフリカのルワンダに行く」という話を家族にして、いちばん反対してきたのが高校まで熊本で一緒に暮らしていたばあちゃんでした。
なんでそぎゃん危ないところに行かんといかんとね?わざわざノリヒロが行かんでも、外国のことは外国の人に任せればよかたい。今からでも遅くないけん、会社に言って戻してもらいなっせ。
これを言われたときはほんとにショックでした。「ああ、自分の家族ですらこんな考え方しかできないんだ」と。
いまではそう言ったばあちゃんの気持ちもわかりますが、「外国のことは外国の人に任せればいい」という考え方はやっぱり違うと思います。
「国」よりも「縁」が大事
『ODAガール&主夫ボーイ』でも、ぼくら協力隊が実際に受けたJICAの講義でも「日本も昔ほかの国から援助してもらったんだから、今度は日本が外国を助ける番だ」というのが海外援助の大きな理由になっていました。
でも、ぼくにとってのいちばんの理由は違います。
ぼくは「自分の国」「ほかの国」と切り分けることに本質的な意味はないと思っています。国の境界線なんて人間が勝手に決めたもの。いつだって変わり得るので、「あなた」と「わたし」ほど明確な違いはありません。
もちろん日本が自分の故郷だという感覚はありますし、日本のことは好きです。でも、日本が自分の生まれた国なら、地球だって自分の生まれた星ですよね(織田裕二かよ)。
「日本人なんだから日本のために働け」という理屈なら、「地球人なんだから地球のために働いてもいいじゃん」という主張だってOKなはず。
ぼくは「国」よりも「縁」を大切にしたいんです。
就活をしてるときにたまたま東日本大震災が起きて「社会貢献」に興味をもち、青年海外協力隊に応募したらたまたまルワンダに派遣されて、「ここなら日本よりも自分の価値を発揮できるんじゃないか」とたまたま思った――
だれと友だちになり、だれと夫婦になるかも「縁」で決まるように、どこで生きてどこで働くかも「縁」で決めていいと思うんです。
親世代、祖父母世代が「日本人なんだから」と国にこだわるのは、きっとほんの数十年前まではその「縁」が及ぶ世界が極端に狭かったから。だから想像がつかないだけ。
それが交通手段・連絡手段が発達したことによって、「海外=別世界」ではなくなったんです。ぼくは熊本出身ですが、おなじ九州でも行ったことのない佐賀県より、ルワンダという国の方がよっぽど身近に感じます(佐賀の人ごめん)。
主夫ボーイはODAガールに「普通に日本で働けばいいじゃんか!」と言いました。「普通」ってなんなんでしょうね。
ぼくにとっての「ふつうにはたらく」とは、自分が「なんとなくいいな」と思えるものやワクワクすることを追求すること、つまり自然な欲求に素直になること。
その道中での「だれか」や「なにか」との出会いを「縁」と呼ぶのではないでしょうか。
「日本人だから」なんてどうでもいいことにとらわれず、好きな場所で、好きな人と生きて、好きな仕事をすればいいんですよ。
忘れてはならないこと
とは言え。…とは言えですね、やりたいことを追い求めて、家族と離れて暮らしている人が決して忘れてはならないことがあると思うんです。
あんなに反対していたばあちゃんですが、日本出国前にはたくさんのお餞別をくれて、その袋の裏にはこんなことが書いてありました。
いま思えばばあちゃんが「国がどうのこうの」と言っていたのは、本気でそう思ってたからじゃなく、「ただただ孫を危ない目に遭わせたくない」という一心だったのかもしれません。
ルワンダに来てもうすぐ二年。あのときばあちゃんがどんな思いでこのことばを書いてくれたのか。どんな思いで送り出してくれたのか。全然思い至ってなかったなあと反省しています。
ルワンダでは23年前にジェノサイド(大量虐殺)が起きました。近所で仲良くしてもらってる人たちのなかにも、家族を亡くした人がたくさんいます。「家族が一緒に暮らせる」というだけでも、ほんとに幸せなことなんですよね。
外国に縁を感じたのならそこで働けばいいし、「日本人なんだから日本のために働け」なんてことばには耳を貸す必要はまったくありません。
でも、やりたいことを追いかけて家を離れた人も、海外に出た人も、身近な人がどんな想いであなたのことを送り出したのかを決して忘れてはいけないと思います。帰りを楽しみに待ってくれている人がいることを、決して忘れてはいけないと思います。
どこか遠くの国のために働くのも素晴らしいことですが、その裏で身近な人たちを泣かせてはいないか、心配させてはいないかと考え、そのストレスをすこしでも減らせるよう努めることが、送り出してもらった側の最低限の義務なのかもしれませんね。
タケダノリヒロ(@NoReHero)
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