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【2017/03/27 更新】
主演ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』で一躍お茶の間の人気者になった星野源
ぼくは彼の歌が大好きで、毎日聴いてます
歌手、役者として成功している星野源ですが、文筆家としても活動しています。そんな星野源が2009年に書いたエッセイ『そして生活はつづく』を読みました
面白い
なにこれ、超面白い
15本のエッセイが一冊にまとまっているんですが、15本すべてで声を出して笑いました
しかも面白いだけでなく、ときどきハッとさせられるような本質を突く文章もある
これを読んで何故ぼくが星野源を好きなのか、なぜ多くの人が彼に惹かれるのか、その理由が分かった気がします
エッセイで印象的だった箇所を、彼の歌の歌詞などを交えて紹介します
星野源『そして生活はつづく』・あらすじ
星野源のエッセイ『そして生活はつづく』(2009/文春文庫)
このエッセイのテーマは「つまらない毎日の生活をおもしろがること」
文庫版あとがきにはこんなことが書いてあります
「なにげない日常の中に素晴らしいものがある」どや顔でそんなことを言う人は苦手です。「なにげない日常」の中には「なにげない日常」しかない。素晴らしいものなんてない。
その中から素晴らしさ、おもしろさを見いだすには、努力と根性がいります。黙ってても日常はおもしろくなってはくれない。見つめ直し、向き合って、物事を拡大し新しい解釈を加えて日常を改めて制作していかなきゃならない。
毎日をおもしろくするのは自分自身だし、それをやるには必死にならなきゃ何の意味もない。
つまり、一生懸命生きなきゃ毎日はおもしろくならないってことだ。
日々生きていると、ふとした瞬間に「面白いな」「美しいな」と思う瞬間があります
だから「この世界は素晴らしい」と思ってしまいがちですが、日常自体が素晴らしいわけじゃないんですね
「『なにげない日常』の中には『なにげない日常』しかない、だからそこに自分なりの解釈を加えておもしろくしていこう」という価値観が、楽曲を通して伝わってくる
意味なんかないさ 暮らしがあるだけ
ただ腹をすかせて 君のもとへ帰るんだ
恋/星野源
だから星野源の曲を聴いていると、なにげない日常のなかに暖かさや柔らかさや匂いを感じることができる気がします
髪の毛の匂いを嗅ぎあって くさいなあってふざけあったり
くだらないの中に愛が 人は笑うように生きる
くだらないの中に/星野源
それが彼の曲を好きな理由なのかも
『そして生活はつづく』感想
星野源の略歴を表にしてみました
2000年にバンドSAKEROCKを結成し、当時から目立たないながらも有名ドラマやCMにも数多く出演していました。細野晴臣さんとの対談連載も持ってたりします
そしてこのエッセイ『そして生活はつづく』が発表されたのが2009年。その翌年にソロとしての1stアルバム『ばかのうた』が発売されています
この時期に「生活」について考えることが多かったのか、『ばかのうた』に収録されている曲はとにかく生活感が漂いまくっています
何もない休日に 寝間着のままで
パン焼いて テレビ見て 玉子をのせて
ぼんやりと過ごすのよ
子供/星野源
しかし、当の本人はエッセイのなかで「生活が苦手」と公言しています
携帯料金を払い忘れて電話を止められたり、掃除をしようと思ってもめんどくさくてだらだらしちゃったり、顔を洗うたびに洗面所をびしゃびしゃにしたり、食べこぼしたり…
少しずつ売れるようになってきて、自分への劣等感から逃げるために仕事をしまくっていた星野源は過労で倒れてしまいます。そこで母親から半笑いで言われたこと
「過労?……ああ、あんた、生活嫌いだからね」
「え?」
「掃除とか洗濯とかそういう毎日の地味な生活を大事にしないでしょあんた。だからそういうことになるの」
はたから見れば、ただのダメ人間です
そんなダメさ加減をこのエッセイでは惜しげもなく披露しています。むしろそれをネタにしています。そして読者は「ダメだなー」と思いつつも、ちょっとカワイイと思ってしまう……
ずるい!ずるいぞ!星野源!
そうやって女子の母性をくすぐる作戦だな…
まえにぼくが女の子にフラレた時「私はダメな人が好きなの」って言われて、こいつまじで意味分からんと思いました
「『ダメ』って、『ダメ』ってことでしょ?『良くない』ってことでしょ?なにそれ?」みたいな
けど、「ダメ」が「良さ」になることもあるんですよね
あなたが星野源にハマる理由
視力が悪いのに、コンタクトやメガネも体質的に合わないという星野源。しかしそれでもレーシック手術はしないと決めたそうです
そこには「見えるようになってしまったら、堂々とした人間になってしまい、屈折した部分がなくなってしまうのでは」という恐怖がありました
なんだそれ、と言いたくなってしますような理由ですが、本人はそれについてこう語っています
それは、私自身が自分の屈折した部分に「食わせて」もらっているからだ。
今まで自分が受けてきた嫌なことや、ストレス、怒り、不満などによって私はいつしか屈折した考え方をするようになった。しかし、そこから生まれたアイディアを原動力にものを作ってお金を稼ぎ、ご飯を食べているという部分もあるにはある。
星野源の魅力は、こうしたダメなところ、屈折したところから生まれてきているんですね
生きづらさを緩和するために表現をするのだし、マイナスがあるからプラスが生まれるわけだし、陰があるから光が美しく見えるのである。不満がなくなり、全てのことに満足したら何もしなくなってしまうだろうなといつも思う。
多くの人が彼の演技や歌、文章に惹かれるのは、「ダメ」を「魅力」に昇華しているのを感じ取ってプラスのパワーをもらえるからなのかもしれませんね
そんな星野源の、背中を押してくれるようなことばをいくつか紹介します
みんなばらばらでいい
「手と手をつないで、ふたつになろう」という、どこかで聴いた曲の歌詞がずっと引っかかっていたという星野源
それをきっかけに、彼はこう考えるようになりました
みんなばらばらでいいじゃないか。そう思えるようになってからはずいぶんと楽になった。それまでは周りにうまく合わせられないことに罪悪感を感じていたのだけど、そのときから集団の中でひとりになることを堂々と楽しめるようになった。
本当に優秀な集団というのは、おそらく「ひとつでいることを持続させることができる」人たちよりも、「全員が違うことを考えながら持続できる」人たちのことを言うんじゃないだろうか。
おそらくこの考えから生まれたのが、『ばかのうた』1曲目の『ばらばら』
世界はひとつじゃない ああそのままばらばらのまま
世界はひとつになれない そのままどこかにいこう
ばらばら/星野源
どうがんばっても「ひとつ」になんかなれないんだから、「ばらばら」のままでいい
そんなメッセージが、木琴やウッドベースを使ったやさしい音に載せて歌われているので、気を抜くと泣きそうになります
ちなみにこの曲は映画『モテキ』でも使われています。麻生久美子が自暴自棄になりながらリリー・フランキーと一夜をともにしたホテルを抜け出して、朝日を浴びながら牛丼をかきこむシーン
牛丼屋さんにひとりで入れる美人、ガツガツ食べる美人っていいですよねー…
二足のわらじ
まだあまり売れていなかった頃は「音楽と芝居の両立なんて無理だから、どっちかに絞れ」とよく言われたそうです
その意見をもっともだと思いつつも、星野源は「一足のわらじを履く人より、二足のわらじを履く人のほうがおもしろくないか?」と考えて二足のわらじを履き続けてきました
絶対無理ってみんなが言うようなことをなんとか努力してやろうとして、もしできたりしたらそっちのほうがおもしろくない?
なんでみんなそれをやんないんだろう?
いまでこそ歌手として紅白に出たり、ゴールデンタイムのドラマで主役を張ったりしている星野源ですが、そんな周りの声に負けず自分のやりたいことを突き通してきたからこそ今があるんですね
無駄なことだと思いながらも それでもやるのよ
意味がないさと言われながらも それでも歌うの
理由などいらない
少しだけ大事なものがあれば それだけで
日常/星野源
エッセイを読もう
このエッセイの雰囲気が好きすぎて、じいちゃんにもらったキャラメルをひとつずつ味わって食べるように、ひとつひとつの文章を大事に読みました
それにしても「エッセイ」って面白いんですね。他の人の視点を通した世界の捉え方を知るのがこんなに楽しいなんて。それくらい良かった
これを読んだことで、星野源の歌もより楽しめるようになりました
ドラマや音楽で「星野源いいな」と思った方、エッセイもおすすめですよ
ただし、ここでは省きましたが本人が大好きな下ネタもちょいちょいぶっこまれているので、『逃げ恥』とかを観て「この人かっこいいー!」と思った方は幻滅しないように…
星野源トリビア
星野源はバナナマンと親交が深く、ラジオで毎年日村さんに誕生日ソングを贈っている(←超名曲。YouTubeで探してみてね)
なおヒット曲『SUN』のタイトルは、「日村」の”日=SUN”に由来する(42歳の誕生日ソングで歌ったフレーズを組み込んでる)
タケダノリヒロ(@NoReHero)
これも読んでね→→→星野源が語る『恋』製作の裏話
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