アフリカ・ルワンダ在住、タケダノリヒロ(@NoReHero)です。
ぼくには「旅が好きな人はやさしい」という持論があります。
「旅なんて別に好きじゃない」って人は本でも映画でもドラマでもいいんですが、いずれも、「新たな世界を知って、異なる立場の人の気持ちを想像する力」を養ってくれるんですよね。
「ムズング(外国人)」事件
なぜそんなことを思い出したのかというと、昨日こんなことがありました。
このツイートには100以上の「いいね」がつきました。こんなに反響があるとは思ってもみなかったんですが、それだけ多くの方が共感してくださったということですよね。
ルワンダで暮らしていると、大人からも子どもからも「ムズング!」と声をかけられる(はやし立てられる)ことがよくあります。
「ムズング(Muzungu)」とは本来「白人」のこと。でも、現地の方々にとってはアジア人も白人も大差ないため、「外国人」という意味合いで使われています。
だからと言ってなぜ知り合いでもない人にわざわざ「ムズング!」と声をかけるのかは謎ですが、外国人の存在はルワンダ(特に農村部)ではまだまだ珍しいため、トキワの森でピカチュウに遭遇したときのようについついテンションが上がっちゃうんでしょうね(古い)。
でも「ムズング」って言われるの嫌なんですよね。「チンチョンチャン(中国人を真似して茶化した表現)」よりはよっぽどいいですが。響きがいやですよね「ムズング」って。濁点がふたつもある。
しかも複数形にしたら「アバズング(Abazungu)」ですからね。とりあえず強そう。
そんな感じで2年弱の間、ルワンダで「ムズング」「アバズング」と言われ続けて、そのたびにもやっとした気分になってました。そして「この嫌な気持ちはルワンダの人には分かってもらえないだろうな」となかば諦めてました。
でも、いたんですね。わかってくれる人が。
昨日会ったお兄さんは「ムズングって言うのは失礼だよ。世界には日本人とかアメリカ人とかいろんな人がいるんだから」と、子どもたちにやさしく説明してくれたんです。
その人はどう見てもエリートでも富裕層でもない、その辺の村のお兄さん。それでも、「そんなふうに言ったら外国人は嫌な気持ちになる」ということをわかってくれて、しかも子どもたちに教育までしてくれたんです。感動。
知らない世界を知るということ
とはいえ、外国人である自分の気持ちを村の人たちに理解してもらうのはやっぱり難しいです。
自分がマイノリティになってわかりましたが、「異質」な立場の人は心情を理解されづらいし、その分傷付けられることも多いんですね。
逆に言えば、異なる立場の人の気持ちを推測する力がある人は、人を傷つけることも少ないし、だから「やさしい」と言えます。
ここで冒頭の「旅好き」の話に戻りますが、旅は他人の気持ちを理解するための「想像力」を養ってくれるんですよね。
旅をすると、知らない世界にたくさん出会えます。ルワンダではモノはなんでも頭の上に載せて運ぶとか、「ビュッフェ」なのにおかわり禁止とか、男同士で手をつなぐのもふつうとかーー。
そんな新しい世界を知ることで「自分の知ってる範囲でものごとを決めつけちゃいけないんだな」「世界は想像も及ばないことであふれてるんだな」と気づくことができました。
おなじように、本を読んだり、映画を観たりしても、まったく違う立場の登場人物に自分の気持ちを重ねて、「こんな状況で、こんな人だったら、こんな気持ちになるのか」と他人の気持ちを推し量れるようになりますよね。
そうやって世界を広げることで、想像できる範囲が増えていく。
他人の気持ちを完全に「理解」することは不可能ですが、「想像」することはできます。
この「推測力」や「想像力」に優れた人のことを「やさしい」と言うのではないでしょうか。
自分の変化
じゃあ、自分はルワンダに来て、2年経って、すこしはやさしくなれたんでしょうか。
ぼくはいま、青年海外協力隊としての活動のかたわら、日本からのお客さんのホームステイを受け入れています。これまで20人近い方々がルワンダ人の家庭に泊まってくれました。
ただ単に旅行するだけではルワンダの表面的な部分しか見ることができないため、ルワンダ人の「暮らし」を体験してほしいし、近所の人たちにも日本人と交流する機会をもってほしいと思ってやっています。
でもそれだけでなく、ゲストの方々が来るとホストファミリーとふだんはできないような話もできたりするので、自分にとっても勉強になるんですね。
先日、旅行者の方から「ホストマザーには子どもが何人いるんですか?」と聞かれたので、思い切ってそのお母さんに聞いてみました。
「思い切って」というのは、ルワンダでは「家族」がセンシティブな話題であることが多いから。23年前にジェノサイド(大虐殺)があり、それで家族を亡くしている方もたくさんいるんです。
だからぼくも知り合って1年半になりますが、そのお母さんに何人子どもがいるかは聞けずにいたんですね。
それで先日いい機会だと思って聞いてみたところ、「子どもは5人いて、孤児が9人いる」と教えてくれました。
その家庭は日本人旅行者を安心して預けられるくらい比較的裕福な家庭なので、自分の子どもだけでなく、親を亡くした子どもたちも育ててきたんだそうです(いまは彼らの多くが大人になって家を出たので、ぼくが会ったことがあるのは半分ほど)。
それから「旦那さんもジェノサイドのときに亡くなった」ということ、「子どもたちを育てるためにお店を開いた」ということなど、これまで聞けなかったことも、ようやくいまになって聞くことができました。
日本でぬくぬくと育ってきた自分にとって、身内を殺されたり、シングルマザーになって働いたり、養子をもらったりという人生は、完全に想像の外の世界でした。
でもいまはそんな風に生きてきた人がいるということを知り、「どんな気持ちで旦那さんのことを思い出すんだろう」「どんな思いで子どもを育ててきたんだろう」と、すくなくとも想像することはできます。
ルワンダに来て成長したことがあるとすれば、そうやって、自分には縁のなかった生き方や「家族」のあり方を知ることができたこと。
「家族」とは
星野源さんは『Family Song』で、
ただ幸せが 一日でも多く 側にありますように
と歌っています。
出会いに意味などないけれど
血の色 形も 違うけれど
や
遠い場所も繋がっているよ
という歌詞には、「血がつながっているだけが家族ではないし、一緒に住んでいるだけが家族ではない。たとえ離れていても、『幸せが一日でも多く側にありますように』と願える相手のことを『家族』と呼ぶんじゃないか」という想いが込められているそうです。
だからミュージックビデオも、男女の性が入れ替わっていたり、家族構成がごちゃごちゃだったりするんですね。
参考:ラジオ『星野源のオールナイトニッポン』
ルワンダの人たちと出会って、この「家族」のあり方をより強く実感することができました。
青年海外協力隊としての任期は残り2か月。
その間に、もうすこしだけでも、ルワンダの人たちのことを理解できるようになれればと思っています。
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