とあるフレーズを放って、自己嫌悪になることがよくあります。
「そんなことも知らないの?」
この言葉、ついつい言ってしまいますよね。でも、極力使うべきではないと思っています。
なぜこのフレーズを使うべきでないのか、自戒を込めて記事にしておきます。
神父さんに対して
ぼくは現在、青年海外協力隊としてルワンダに住んでいます。
この村に外国人はぼくひとりしか住んでいないんですが、そんなぼくの一番の理解者が大家である神父さん(30代半ば)です。家もお隣さんです。
英語が話せて、教養もあって、フレンドリーなので、とても頼りになります。
神父さんマジ神(←いろいろややこしい)。
ところが、普段とてもお世話になっているそんな神父さんに対して、「そんなことも知らないの?」と小馬鹿にしたような態度を取ってしまって反省しています。しかも二回も。
一回目
神父さんの部屋を訪ねると、PCと向き合っている神父さんに「フランクフルト行きの航空券を調べるにはどうすればいいの?」と聞かれました。
そんなことも知らないのかよ、と思って半笑いで「いや、普通に『kigali frankfurt flight』って検索すれば良いんじゃない?」と言ってしまいました。
まだ若いし、普段スマホも使ってるからそれなりにITスキルもあるはずだし、教養もある人がなんでチケットの調べ方も知らないんだよと。
二回目
ついさっき、神父さんと一緒に飲みに行ってきました。
先日帰国してしまった、ドイツから来た可愛い女子大生ボランティア二人組の話をしていたときのこと。
「ドイツと日本は近いよね?」
「いや、めちゃくちゃ遠いよ!(近いわけねーだろ)」
「ドイツとオーストラリアは近いよね?」
「いやいや、(テーブルにあったものを使って)ルワンダはここでしょ?で、ドイツがあるヨーロッパがここで、日本はここ、オーストラリアはさらに南のここにあるから、全然近くないよ!(バカなの?)」
「え、でもオーストラリアはヨーロッパでしょ?」
「……もしかしてそれオーストリアじゃない?オーストラリアとオーストリアは別の国だよ?確かにオーストリアはヨーロッパだからドイツのすぐ近くだよ」
「あー、オーストリアだ!」
っていう会話を繰り広げました。
そんなことも知らないのかよと思って、イラッとしてしまいましたが、またやってしまったと反省しています。
人によって「当たり前」は違う
自分にとっての「当たり前」が、相手にとっての「当たり前」であるとは限りません。
みんなが同じ新聞、同じテレビから情報を得ていた時代ならともかく、ネットが発達した現代では個々の情報源はまるで違います。
ぼくにとって、イケダハヤトさん、はあちゅうさん、家入一真さん、津田大介さん、安藤美冬さん、駒崎弘樹さん…あたりは超有名人ですが、世間的には知らない人の方が多いと思います。
日本の中でもそうなので、国が違えば、まして日本とアフリカともなれば、育ってきた環境も文化もまったく異なるので「当たり前」を共有出来ていないのが「当たり前」です。
「それぐらい社会人として常識だろ?」って言う人もよくいますが、「社会人の常識」なんてもはや死語ですよ。
もちろん礼儀をわきまえることは重要ですが、それと自分のルールを相手に押し付けることは別問題です。
何より、ぼく自身が「そんなことも知らないの?」と言われるのが大嫌いです。人一倍プライドが高いので。
そんな感じのことを言われたら分かりやすく不機嫌になりますが、内心「やべ、これ知らないのっておかしいのかな…」って羞耻心でいっぱいになってます。
だからこそ、他人には言っちゃダメだと思ってます。
そんなことで小馬鹿にしたところで、誰も得しません。自分が知っていて相手が知らないこともあれば、自分が知らなくて相手が知っていることもあるんです。
何でも知ってる人なんてこの世にはいないんですから。
今日以降、誰に対しても「そんなことも知らないの?」というフレーズおよびそれに準ずる態度を取った場合、一回につき1,000RWFを神父さんのいるカトリック教会に寄付することにします(浄土宗だけど)。
人の「知らない」に寛容になりましょう。
おまけ
左が神父さん。普段はアロハシャツにサングラスなので、完全にマフィアにしか見えません。白人女性2人が例のドイツ人ボランティア。
このとき神父さんに「ちょっと挨拶したら帰るから」と連れて行かれたら、二時間近くルワンダンジョークに付き合わされました。神父さんは結婚してはいけないという決まりがあるそうなんですが、見たことないほどの輝く笑顔を見て「間違いなくこいつ女好きや…」と確信しました。
この記事を書いていて気づいたんですが、彼が航空券を探していたフランクフルトってドイツの都市ですよね…。
こいつ、行く気だ…。
タケダノリヒロ(@NoReHero)