ブルンジ大統領、心不全で死去。6万人の難民を抱えるルワンダへの影響は?

アフリカのルワンダでスタディツアーの運営や情報発信を仕事にしています、タケダノリヒロ(@NoReHero)です。

2020年6月9日、ブルンジ大統領のピエール・ヌクルンジザ(Pierre Nkurunziza)氏が心不全で亡くなりました。享年55歳。15年にわたり政権を率いたヌクルンジザ氏は、2か月後に退任する予定でした。

この出来事で、私たちの住む隣国ルワンダにはどんな影響があるのでしょうか三選問題難民民族対立から考えてみました。

「三選問題」と抗議デモ、難民の発生

2005年に大統領となったヌクルンジザ氏は、2010年に再選を果たします。2015年に三選を目指して出馬表明をしましたが、これは憲法違反にあたるため野党は憲法違反だと非難。激しい抗議デモとクーデター未遂に発展しました。これによって少なくとも1200人が死亡40万人が国外に逃れたとされています。氏は三選を果たしましたが、情勢不安は続き、人権団体からは野党やメディアに対する弾圧を非難する声が頻繁に上がっている状況でした。

【参考】ブルンジ大統領、心不全で死去 長期政権の終焉目前に 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News 

国民投票によって憲法を改正し、最長2034年まで大統領を務めることが可能になったのですが、結局今年2020年5月の大統領選には不出馬。代わりに彼が選んだエヴァリステ・ヌダイシミエ氏が当選。8月から就任予定でした。ヌダイシミエ氏の大統領就任後もヌクルンジザ氏は影響力を及ぼすのでは、と目されていましたが「心不全」により急遽亡くなってしまったのです。

【参考】Burundi: Who is Evariste Ndayishimiye?: The Standard

三選問題におけるブルンジとルワンダの違い

実はルワンダでもブルンジと同様に、2015年に憲法改正がおこなわれ三選が可能となりました。これにより現在でもカガメ大統領がトップに立っています。しかしながら、三選問題でクーデター未遂にまで発展したブルンジとは異なり、ルワンダで大きな混乱は発生しませんでした。その差は何だったのか。

それは内戦の終結方法の違いだと言われています。ルワンダでは1994年の虐殺をRPF(ルワンダ愛国戦線)が鎮圧し、政権を奪取しました。それにより、国内には大きな反政府勢力は残っていません。一方国際社会の仲介によって内戦が終結したブルンジでは、権力分有制度のために反政府勢力が強い影響力を保持しました。そのためにブルンジでは激しい抗議活動とそれに対する弾圧がおこなわれたのです。

【参考】アフリカの「三選問題」――ブルンジ、ルワンダ、コンゴ共和国の事例から――

ルワンダへの難民増加の懸念

こういった流れを見ると、今回の大統領逝去に伴うルワンダに対する影響のひとつとして考えられるのが、ブルンジからの難民増加です。2015年にヌクルンジザ氏が三選を目指して出馬表明をした際に起こった暴動で、ブルンジからルワンダに難民が発生。現在マハマキャンプには約6万人のブルンジ難民がいるとされています。

【参考】マハマ難民キャンプにおけるブルンジ難民支援2案件(WFP,UNHCR連携)開始式典 | 在ルワンダ日本国大使館

今回の大統領急逝により、現在でも勢力をもつ反政府勢力の活動が活発化し、ブルンジ国内の政情不安定化、難民が増加するといった影響が考えられます。

ツチ対フツの構図

ブルンジとルワンダでは、多数派のフツ族、少数派のツチ族、少数民族のトゥワ族が存在するという民族構成も共通しています。

ルワンダでは1994年の虐殺以降、民族融和が進められました。現在では公には「ルワンダ人はひとつの民族」として民族の区分はなくなっています。しかしながら、虐殺を鎮圧したのが現大統領のポール・カガメ氏をはじめとするツチ族系の人々が組織したRPFであるために、現政権下でもツチにルーツをもつ人々の力が強いとされています。

一方ブルンジでは今回亡くなったンクルンジザ大統領も、新たな大統領のヌダイシミエ氏もフツ系です。以前ブルンジがツチ系の政権だったときはルワンダとの関係が良好だったようですが、現在はフツ系の政権のため両国の関係性は芳しくありません。これからブルンジは新政権となりますが、ルーツだけを見れば、今後も両国の関係改善は期待は薄いと推測されます。

ブルンジ大統領死去によるルワンダへの影響

以上、ブルンジ大統領死去によるルワンダへの影響をまとめると、難民の増加や、二国間関係の悪化などが考えられます。ただでさえ新型コロナウイルスの猛威に各国がさらされているこの状況。ブルンジの新政権誕生が平和裏に進み、治安がこれ以上悪化しないことを祈ります。