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小さくてもまわりの人がよろこぶことを

36歳になりました!アフリカ大陸の真ん中よりちょっと右下にあるルワンダでこれを書いています。

ルワンダ歴は10年目、立ち上げた会社は8年目、娘は1歳3ヶ月になりました。

今回の渡航は妻と娘も一緒に来てくれて、3ヶ月ほど一緒に過ごすことができました。が、ちょっと前にふたりは帰国。わたしだけ仕事のため残ることに。

 

ふたりが帰国する前日、お風呂を洗いながら「明日からさびしくなるな〜」と後ろにいる妻に話しかけてたら、娘が突然後ろから抱きついてきて、トントントンと背中をやさしくたたいてくれました。目から打たせ湯が出ました。

「もしかしたらパパがさびしがってるのわかったのかもねー」とママも言ってくれたので、そう思うことに。

ないものねだり

ひとり残ったらさびしいだろうとは予想しつつも、それはそれで自由に過ごせて楽しいかもとニヤニヤしたりもしてたんです。

お風呂もゆっくり入れるし。掃除もしょっちゅうしなくて済むし。夜泣きで毎晩起こされることもないし。

でもどれも大変だったけど、お風呂のアンパンマンのおもちゃを自分で片付けてくれたときは天才だと思ったし、ほうきやぞうきんをもって掃除するマネしてたのもかわいかったし、コテンと寝てる姿を見て癒やされたりもした。

初めて抱くタイプの感情ばっかりで、まだ開けたことない引き出しがこんなにたくさんあったんだと気づかせてもらいました。

またしばらく日本でワンオペになってしまう妻にも感謝です。ルワンダでひとりになってさびしい、とか贅沢な悩みですよね。ウーバーイーツかと思うくらい常に何かを運んで走り回ってる娘を、ひとりでお世話するのはほんとうに大変だと思う。

いまはまだ仕事ためにルワンダに残らないといけない状態だけど、いつでもどこでも家族一緒に過ごせる体制に近い将来できるよう、がんばっていきます。

いっしょに働きたいと思ってもらえるうれしさ

という思いもあって、当社初のインターン生を採用しました!

インターンたまきさんの自己紹介記事↓

学びと探求のその先にーアフリカノオトでインターンを始めた理由ー

ほんとにラッキーで、この夏は忙しくなりそうだから手伝ってくれる人探さなきゃな〜と思っていたところに、向こうから連絡してきてくれたんです。特に募集してたわけじゃないのに、タイミング良すぎる!

いままで目の前の仕事に追われていましたが、一部業務を引き受けてもらってることで、二歩、三歩先まで考える余裕ができました。もっと早くお願いしてたらよかった!

でもこれが卒啄同時ってやつですね。殻を内側と外側から同時につつくタイミングだったのかも。

お客様にとって魅力的な会社、サービスにするのは当たり前ですが、その運営に携わりたいと思ってもらえたのは、次のステップに進めた証拠のようにも思えます。

10年前に夢見たソーシャルビジネスに踏み出せた

次のステップ、と言えば社会貢献事業も本格的にスタートしました。

もともと青年海外協力隊としてルワンダに来たときは、ソーシャルビジネスをやりたいと思ってました。ソーシャルビジネスとは、社会課題の解決に重きを置いたビジネスのこと。

協力隊のボランティア期間は2年間あるので、その間に起業の種を見つけて、協力隊が終わったらソーシャルビジネスを始めたいと思ってたんです。

でも実際現場で活動してみて諦めました。自分には無理だと。

わたしが役に立ちたいと思っていたのは貧困層の人たち。でも貧困層なので当然消費にまわせるお金はほとんどありません。そこをターゲットにしようと思ったら、薄利多売にしてよほど裾野を広げないと利益を確保できませんが、自分にはそんな規模の大きな事業をする資金もスキルもありませんでした。

だからいったんは「ソーシャルビジネス」にこだわるのはやめて、まずは「ビジネス」として役に立てる人を探そうと思ったんです。それで始めたのがスタディツアーでした。

スタディツアーの主なターゲットは、国際協力やアフリカに興味がある日本の大学生。この層であれば、ニッチだけど必要な利益は確保できるし、自分も昔そんな大学生のひとりだったから抱えている悩みや不安もよく分かる。

そう思ってスタディツアーを始めて、おかげさまで約250名の方々にルワンダまで足を運んでもらえました。コロナで3年ほどお客さんゼロの時期があったので、それを考えるとよくがんばったなと。

ルワンダの母からの頼み

そしていつものようにお客さんを協力隊時代の任地ムシャセクターにお連れして、ホームステイしていたときのこと。

私に「ルクンド(Love)」、妻に「マホロ(Peace)」というルワンダネームを授けてくれたホストマザーから、自分が所属する女性グループに支援をしてほしいと頼まれたんです。

1994年のルワンダ虐殺で夫を亡くし、未亡人になった女性たち。高齢の方も多く、農村部で仕事もないので、日々の食事さえままならないような生活をしていました。

しかし私だけの力ではその20世帯86名の人たちを助けることはできません。そこで24年12月にクラウドファンディングを立ち上げて資金を募り、約80万円を集めることができました。ご協力いただいた方々、ほんとうにありがとうございます。

今年の1月からそのお金をもとに寝具や食事、教育費の提供を順次おこなっています。100人近い方々が約1年間、日々の食事の心配をせずに済むようになったというのは、とてつもなく大きな変化だと思います。

継続的な取り組みへ

しかしクラウドファンディングは一時的な支援でしかありません。このままでは1年後にはまた元の状態に戻ってしまいます。そこで、支援対象のママたちに継続的にお金を渡せるよう、スタディツアーでお客さまからいただいている参加費の一部を「コミュニティ・フィー」として、その地域に還元することにしました。これでお客さんが増えれば増えるほどうちの会社の利益も上がるし、ムシャセクターのみんなの生活改善にも貢献できる。

こういうのが、10年前に自分が夢見ていた「ソーシャルビジネス」なのかもしれません。もちろんコミュニティ・フィーだけでは微々たるものなので、さらに次のステップとしては別の仕事を生み出して雇用創出、収入向上をしたり、そのためのトレーニングが必要だったりします。それでも理想的な在り方に確実に近づけてるし、なにより地域の人たちに喜んでもらえてるのがうれしい。

小さくてもまわりの人がよろこぶことを

25歳のときに会社を辞めて青年海外協力隊に参加しました。辞める直前、とてもお世話になっていた仙台の事務所の母的な方に「アフリカに行っても大きなことをやろうとしなくていいから、竹田さんのまわりの人たちがよろこぶことをやってね」と言われたことをいまでも覚えています。

当時は夢ばかり広がっていて、自分にはなんでもできるし世界も変えられると思っていたので、正直「それはわかるけど、できればもっとおっきいことをやりたいな」と思っていました。

そして今。世界を変えられると思っていた自分は、目の前でお世話になってるひと家族さえ、そのなかのひとりさえ、幸せにするのはこんなに難しいんだと痛感しています。お母さんは病気だけど薬を買うお金がないとか、娘は結婚したけど夫から暴力を受けて家から追い出されたとか。なんとか力になりたいと思って寄付したりもするけど、そこに疑いや躊躇いがないわけではないし、そんな気持ちを抱いてしまうこと自体にもモヤモヤするし。

それでも会社を辞めてからのこの10年で経験してきたこと、出会えた人たちとの関係性が積み重なって、ようやく自分なりの「まわりの人たちがよろこぶこと」にすこし手が届き始めました。まずは自分の家族と、関わってくれるまわりの人たちだけでも幸せにできるように力をつけていきたいです。

ひとつ歳を重ねた機会に直近のできごとを振り返ってみましたが、今年も自分にとって大きな節目の年になりそうです。娘と再会したら「パパがんばったね」とまた背中をトントンしてもらえるように、がんばっていきます。

アフリカノオトのサービス&コンテンツ

【スタディツアーSTART】
農村ホームステイや現地在住日本人との交流などを通して、ルワンダの歴史や文化、国際協力、ビジネスを学ぶプログラム
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【ルワ旅コーデ】
日程や行程を自由にお決めいただけるオーダーメイドサービス
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【著書】
『アフリカに7年住んで学んだ50のこと: ルワンダの光と影』
7年のルワンダ生活で得た学びを、50の章にまとめました。きっとあなたにも刺さる発見が、50章のなかにあるはずです。
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【オンライン講座】
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「アフリカの奇跡」と称される経済発展を遂げているルワンダ。そのルワンダを事例にアフリカや国際協力について学ぶ講座です。
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norihiro415:
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