タケダノリヒロ( @NoReHero)
あなたには、外国人の親友がいますか?
アフリカのルワンダに住んで、もうすぐ2年。
青年海外協力隊の任期を終えて帰国するため、来週にはムシャセクターという農村部にあるこの家を引き払って、首都のキガリに上がることになります。
「親友をつくること」。それがこの2年間の目標のひとつでした。
結論から言うと、親友をつくることはできませんでした。
以前、このムシャに遊びに来てくれた日本人の大学生に「やっぱり現地の人と仲良くなるのは難しいよね……」と話したときのこと。
彼は「タケダさんがそう言うのを聞いて、なんだか安心しました」と言っていました。
「自分も海外経験があるんですが、帰国後も連絡を取り合うほど仲の良い現地の友だちはできなかったんです。でも、ほかの日本人は海外の友だちからずっとメッセージをもらってたりして、『自分は人付き合いが苦手なのかも』と思ってたんです。でも、タケダさんでさえそう思うんですね」と。
そうだよー。難しいよね。海外で「友だちができない」と悩む人は、想像以上に多いのかもしれません。
近所を歩いていると、みんなから「ノリ!」と声をかけられて、子どもたちが走ってきて手を握ったり足にピトッとまとわりついてきたりするので、その様子を見たほかの日本人からは「すごい人気者ですね」なんて言われたりもします。
でも、実際は彼らの名前すらあやふやなくらい、表面的な関係性でしかありません。ルワンダ人は日本人と比べると距離感が近いから、そう見えるだけ。
同じ地域に住む「隣人」としての付き合いはさせてもらってるけど、それ以上の関係性に踏み込むことはできなかったし、私も自分の領域に誰かを踏み込ませることはありませんでした。踏み込ませても、「やっぱり嫌だ」と思って、すぐに追い払ってしまいました。
約束の時間になっても現れず、電話してみたら「予定が変わって行けなくなった」ーー「予定が変わったんなら、事前に連絡してよ」と言っても、また同じことを繰り返される。
「お金の話をされると嫌な気持ちになるからしないでくれ」と説明したのに、平気で言ってくる「お金ちょうだい」ーー「どれだけ言葉を尽くしても理解してもらえないんだな……」
そんな小さな不信感やがっかり感が積み重なって、現地の人たちとの交流にも消極的になりました。
「もっと仲良くなりたい、もっと知りたい」という思いと、「傷つきたくない、凹みたくない」という思いが混ざって、しんどかった。
SNSでほかの協力隊員が現地の人たちと仲良さげに映った写真を見て、「自分はこれでいいんだろうか」と思ったりもしました。
そんなどっちつかずな気持ちを抱えたまま、来週この村を離れます。
今日はクリスマス。プレゼント代わりに、近所の人たちを撮った写真を印刷したものを配ってきました。
以前家庭調査をしたときに、現地の人たちの写真も一緒に撮っていたのですが、それを欲しい欲しいとずっと言われていたんです。
でも、こんな田舎では写真の印刷すらロクにできません。それでなかなか準備する機会がなく、結局こんな帰国間際になってしまいました。
写真を渡したら、みんなものすごく喜んでくれました。ものすごく。
子どもたちは写真を持ったまま走り回ったり、おばちゃんは「マナウェー!(ルワンダ語でオーマイゴッド)」と叫びながらハグしてきたり。
その様子を見て、自分もうれしかった。
帰り道、水を買おうと思っていつものお店へ。
おばちゃんに「ノヘリ・ンジーザ(メリークリスマス)」とルワンダ語で挨拶すると、この辺では見かけないほかのお客さんが「この外国人はルワンダ語ができるんだね」とびっくり。
するとおばちゃんが言ってくれました。「ノリはすぐそこに住んでるからね。私たちは”インシュティ”(友だち)なの」と。
きっと、「仲良くなれないのは国が違うからだ」という理由付けは、間違っているんだと思います。おなじ日本人でも仲良くなれない人はいるんだから、国籍は決定的な理由じゃない。
「国が違うから、仲良くなれない」のではなく、「国が違うから、理解し合うのが難しい。だから仲良くなるのも難しい」というだけ。
国がおなじでも、「親友」と呼べる存在はほんの一握りです。私のFacebook上の日本人の友だちは約1000人。そのうち、親友はきっと5人くらい。確率にして0.5%。
ルワンダ人と仲良くなるのは、日本人と仲良くなるより10倍くらい難しい。そうするとルワンダ人の親友ができる確率は0.05%。
つまり、ルワンダ人の親友を1人つくろうと思ったら、2000人と出会わなければいけないんです。
「あなたはここで、2000人と出会いましたか?」
もし、「海外で友だちができないんです」と悩んでいる人がいたら、きっとそう問いかけると思います。
そしてこれは自分への言葉でもあります。
5人目に出会った人が運良く親友になるかもしれないし、100人目でその人が見つかるかもしれないし、2000人目がダメでも2001人目には何か変わるかもしれません(ドリカム風)。
この2年間、残念ながら「親友」と呼べる人はできませんでした。ルワンダ人のなかにも、私のことを「親友」だと思ってくれてる人はきっといないと思います。
「この2年間、自分がやってきたことは正しかったのか?」
ともすれば、そんな疑問すら抱いてしまいます。
でも、写真を渡して喜んでくれたルワンダ人がいるのは事実。
その喜んでくれている姿を見て、自分自身が「うれしい」と思えたのも事実。
そして、私のことを「インシュティ(友だち)」と呼んでくれる人がいるのも事実。
この2年間は間違っていたのかもしれないし、もっと上手いやり方だってあったかもしれません。
でも、今日私とルワンダ人との間でやり取りした会話と、そこで感じた気持ちだけは紛れもない事実です。
これからもこんな悩みは消えないと思いますが、絶対にウソではないできごとを大切にして、一旦日本に帰り、来年またルワンダに戻ってきたいと思っています。
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「親友をつくる」=「自分にとっての『ホームズ』を見つける」ということでもあります。