タケダノリヒロ( @NoReHero)
あなたは挫折したことがありますか?
〜
私は現在アフリカのルワンダに住んでいます。
ブログを通じて知り合ったまえちゃん(@Maechan0502)とヨウさん(@yodroid )がルワンダまで遊びに来てくれたので、ルワンダ西部のキブ湖というリゾート地を訪れています。
昨晩三人で飲んでいて、まえちゃんに「挫折したことは何?」と聞かれました。
「挫折……ですか……」と考えてみたものの、これと言ってお話が盛り上がるようなエピソードは思いつかず。
それで部屋に戻って、寝て、いま起きたんですが、夢の中で挫折経験を思い出して号泣したところで目が覚めました。情緒がもう。
バスケ部の話。
最後はほんとに辛くて、小4から続けてきたバスケを高3で辞めてしまいました。
結局乗り越えられなかった壁ですが、振り返ってみればいまの人生観に与えてる影響は大きいと思うので、改めてまとめてみます。
何があって、どう感じ、何を学んだのか。
吐くほど嫌だったバスケ部の思い出
バスケを始めたのは小学4年生。通っていた小学校にはサッカー部がなかったので、野球部かバスケ部で迷っていました。
野球部は当時兄が野球をやっていたことや、自分が阪神ファンだったことが選ぶ理由になってました。でも結局選んだのはバスケ部。
理由ははっきりとは覚えてませんが、たぶん、モテそうだから。
最初は順風満帆でした。比較的すぐコツを掴んで、6年のときはキャプテンになりました。
それから中学でもキャプテンに。おかげで知らない後輩の女の子たちにもキャーキャー言ってもらえるようになりました(どや)
でも3年の途中で異変が起こります。
まったく走れない。持久力が大事なスポーツなのに、走ったらすぐ息が切れて全然スタミナが持たなくなりました。
病院に行ってみると、「鉄欠乏性貧血」という診断結果。まあただの貧血なんですが、これはスポーツにおいてわりと致命傷です。
鉄が不足してヘモグロビンを作れなくなることにより、身体に酸素を運べなくなってしまうんですね。だから息が切れやすくなる。
部活はサポートと見学だけに。半年くらい病院に通って、血の色をした薬を飲み続けて、引退前には復帰できました。でもたまにスタメンで出してもらえる程度で、大して活躍もできないまま卒業。
高校は熊本県トップの進学校へ。「進学校だけんバスケできるやつなんかおらんだろ」と思って高校でもバスケ部に入ったものの、甘かったですね。
まわりは勉強もスポーツもできる宇宙人みたいな人ばっかり。
その頃には貧血の影響はなかったはずですが、ずっと補欠でした。ドリブルが上手いわけじゃないからボール運びもできないし、体も細いからゴール下でも戦えない。
練習は自分にとっては厳しくて、帰宅したら玄関で寝ちゃうぐらいヘトヘトに。毎日真っ暗になるまで練習が続き、土日や休暇中も練習や練習試合、合宿でほとんどの時間が埋まっていました。
それで段々部活が嫌になり、「ただしんどいだけで全然楽しくない」と思うように。
土日の練習も「行きたくないなあ……仮病で休もうかな……でもそんな嘘ついたら悪いしな……」と思い悩んでなかなか家を出れずに遅刻するように。
しまいには悩みすぎて、ほんとに吐き気がして休むようになりました。そして引退まであと3ヶ月というところで耐えきれなくなり退部。
今日見た夢は、部活の友人に「なんで辞めるんだよ」と聞かれて、どれだけ辛い思いをしてるか泣きながら訴えているところでした。
練習しても上手くならず後輩にも余裕で抜かれる劣等感、身体を大きくしようと思って筋トレしてプロテインを飲んでも太れないやるせなさ、それで練習が嫌になりサボったりしてしまう罪悪感。
「下手だから練習が楽しくない。だから辞める」なんて、とんだワガママで軟弱でヘタレの極みですが、17歳の自分にとってはほんとに辛かったです。
夢のなかでは友人たちに訴えていましたが、実際はまわりに一切相談せずに辞めてしまったので、一緒に練習してたみんなにはほんとに申し訳なかったなと思います。
でも、辞めてからは学校生活がほんとに楽しくなりました。
私の高校では、夏休み明けに文化祭と体育祭があります。
夏休みは文化祭に向けたバンド(部活と並行してやってた)の練習と、体育祭に向けた応援団の練習に明け暮れました(うちの高校の応援団は硬派なやつではなく、本番前日にみんなで美容室に行って編み込みをしたりパーマをかけたりするチャラいやつです。でも演舞の練習はしっかりします)。
そんなこんなで、バスケからは逃げてしまいましたが、結果的に楽しい高校生活を送ることができました。
挫折から学んだこと
この経験から私が学んだこと。人生観。
嫌なことを無理してやる必要はない。楽しめること、勝てることを探すべき。辞めることは逃げじゃない。
私はバスケ部でパワーフォワードという、リバウンドを取ったりゴール下で競り合ったりするフィジカルの強さが必要なポジションでした。
だからそのポジションの練習を頑張ったり、筋トレしたり、いっぱい食べたり、プロテインを飲んだりしてましたがほとんど効果は出ず。
だったらそこにこだわらずに、もっと勝てるポジションを探せば良かったんですよね。
ドリブルが苦手ならシュート。シュートがダメならパス。パスがダメならディフェンス。
それでも何もできなければ、ほかの分野に転向するのも全然あり。
私はバスケを辞めて、バンドと応援団にシフトしましたが、ほんとに楽しかった。
楽しめることが一番。
転機にはまわりにきちんと説明し、遺恨を残さない
部活が嫌になってしまったとき、友人にも家族にも特に相談はしませんでした。
もちろん最終的に判断を下すのは自分ですし、答えが決まってるなら相談なんてする必要はありません。
ただ、あまりにも薄情だったな、と。せめてまわりに自分が辞める理由をきちんと説明して辞めればよかったと思ってます。
特に何も言わないで辞めてしまったので、それ以降同じ部の友人たちに会うと後ろめたい気持ちになってしまいました。
「あいつは練習もサボってたし、結局辞めたし、ほんとにダメなやつだったな」「一緒に練習してたのに何も言わずに辞めるなんてヒドいやつだな」と思われてるんじゃないかーー
みんなは私が辞めたことなんて何とも思ってないかもしれませんが、私はそれ以来「辞めた」ことよりも「仲間を軽視した」ことをずっと引きずっています。
辞めるのも変わるのも自由。でも人間関係まで失う必要はありません。それをいちばん後悔するのは自分ですから。
みんなが楽しめるチームをつくる
面白くなさそうに「まだ終わんないの?」と言いながら練習してる自分は、チームにとって迷惑でしかなかっただろうなと思います。
ベンチ要員で戦力にもならない選手でも、チームの雰囲気づくりには影響を及ぼすはず。
だから、もし自分が部活の顧問になったら、全員が楽しめるチームをつくりたい。
補欠選手でも、その人の得意なところや活躍できる部分を引き出して、日々の練習を楽しんでほしいと思う。
チームでの大会優勝よりも、生徒ひとりひとりが個性を発揮して日々の練習を楽しめることの方が自分にとっては大事です。
優勝だけを目指してストイックに練習して、楽しめなくて、結局結果が出なかったら報われませんからね。青学の駅伝部みたいに、楽しいチームが最強になるなんて例もありますし。
挫折からの教訓まとめ
・嫌なことを無理してやる必要はない
・転機にはまわりにきちんと説明し、遺恨を残さない
・みんなが楽しめるチームをつくる
挫折をバネに。同じ轍は踏まない。
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