旧ブログにて北信州特有の地域行事「おてんま」を紹介していましたが、一年後ルワンダに行って「ウムガンダ」という同じような風習があることを知りました。不思議な巡り合わせを感じたので、加筆・修正して再掲載しています。
<初回掲載日 2015年4月12日>
おてんまとは
本日は日曜日。しかもひさびさの晴天。
ぼくが勤務するアウトドアパークにも、子どもたちの楽しそうな笑い声(や悲鳴)が響きわたっていました。
そんななかマネジャーから「今日は”おてんま”だから、行ってきて」と言われました。
「おてんま??」
とは。
何かと思えば、
- 村の共同作業のこと。道路や河川の掃除、共同林の草刈りや間伐作業など、地区によっていろいろある。
原則として一軒から一名が参加する。引用元: 北信州のはなしことば「あ行」
「明日はおてんまだ」というように使われ、いまは道路普請やPTAが行う環境整備のような、公共のための奉仕作業を指す、昔大名行列が宿場を通過する際に、馬を引いて荷役にでた賦役「お伝馬」に由来している。生活環境をみんながボランティアで整備する姿勢を表す言葉であって、「おてんま」のあることを、だれも不思議には思わない。
引用元: 佐久の方言
ご近所付き合いが深まる…?
ってことで、パーク外まで軽トラで出て、周辺のどぶさらいしてきました。
「職場とご近所さんとの関係づくりにもなるから」ってことで、側溝に手を突っ込んで湿った落ち葉やら土やらを掬い出してましたが…
「(誰もこねーじゃねーか)」
”村の共同作業”ではなかったのだろうか――
我々だけで黙々と小一時間やってると、近所のおばあさんお姉さんに会いました。
「ご苦労さん、あーそこの職場の人ね、私らもそっちの道をやってたのよ、お父さんたちはあっちをやってくれててね、あなたのところにヨシダなんとかさんいるでしょ?、あ、知らない?最近来たの?仙台から?あらずいぶん遠くから、え、出身は熊本?まー。」
的な会話をして、和みましたね。お日柄もよく。
別のお姉さんも、農薬の袋をゴミ袋代わりにして、杖を突きながらえっちらおっちらと通り過ぎて行きました。
後ろからセダンが来る。道のまんなかで停まる。さっきのお姉さんをゆっくりと乗せて、ゆっくりと去っていく。
歩くの大変ですもんね。車がほとんど通らないから焦らなくていいです。
若者が地方に住むだけで、地方は変わる
やっぱりこの辺りはお年寄りが多いみたいです。
娯楽は全然ないし、買い物できないし、交通網も発達してない。
でも畑や山や川がある。
そして、その自然と共生することを目指してつくられた我々の職場(キャンプ場やアウトドアパーク、カフェなど)があり、そこでの生き方、働き方に惹かれて移住してくる若者が増えています。
ぼくらのような若者には何でもない清掃作業でも、お年寄りにとっては重労働になるのかもしれません。
だから、若者が地方に住むだけで、地方は変わると思います。
別に大したことができなくてもいい。
その土地に住んで、ご近所さんと立ち話でもして、”おてんま”するだけで、生き返る村や集落もあるかもしれません。
そのために、まずはその地方・地域の魅力を発信していかないといけないですね。
最近は「地域おこし協力隊」の取組みも、よく目にするようになりました。
都会にヒト・モノ・情報が一極集中しているいま、実は地方がブルーオーシャンなのかもしれませんね。
SNSやブログで誰でも情報発信できるし、行政や企業と協力していけばできることはいっぱいありそう。
まずは”おてんま”のような、草の根の活動が大切ですね。
方言にしておくにはもったいない言葉と風習。
地方がなくなれば、そこの言葉や風習もなくなってしまう。
100年後、あとどのくらい、残すことができるのでしょうか。
いい言葉教えてもらった。
あとがき
北軽井沢で、はじめておてんまさんに参加したのが約一年前。
現在ぼくはアフリカのルワンダに住んでいます。この国にも「ウムガンダ」と言って、毎月最終土曜日に地域の全員で奉仕活動を行う風習がありました。
この記事には「世界に広めたい」というタイトルを付けていましたが、同様の風習は世界にもあったんですね。不思議な巡り合わせを感じます。ウムガンダについては、こちらの記事で詳しく書いています。
タケダノリヒロ(@NoReHero)