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岡倉天心『茶の本』は人生の教科書〜要約・感想・名言・利休七則〜

本当に読んで良かった。

第一章の一段落目の文章に撃ち抜かれました。

茶道は日常生活の俗事の中に存する美しきものを崇拝することに基づく一種の儀式であって、純粋と調和、相互愛の神秘、社会秩序のローマン主義を諄々と教えるものである。

茶道の要義は「不完全なもの」を崇拝するにある。いわゆる人生というこの不可解なもののうちに、何か可能なものを成就しようとするやさしい企てであるから

純粋と調和、不完全なもの、やさしい企て――。思わず声に出して何回も読み返してしまいました。かっこ良すぎます、天心先生。

そう、茶道とはただ単にお茶を飲むだけの行為ではないんです。そして『茶の本』も、おいしいお茶の淹れ方を解説したレシピ本なんかじゃないんです。

茶道は、清潔さを強調する点で「衛生学」、質素なものに安らぎを見出す「経済学」、宇宙に対する人間の姿を定義する「精神幾何学」であるとされており、現代にも繋がる芸術や、それ以上に我々の日常生活にも多大なる影響を残していたんです。

『茶の本』から学べることを、マンガ版と原作の両方を読んでまとめてみました。

マンガ版はどうなの?

理解を助けるために、マンガ版を先に読みました。

しがない若手会社員の男性が同僚で幼なじみの女性に誘われて茶道教室に行きます。そこで茶道の魅力と教えに感化され、日常のささいなことにも美しさを見出していく。

成長していく彼の姿に、次第に幼なじみも惹かれ良い感じに……という、進研ゼミの勧誘パンフに同封されているマンガのようなストーリーでした。進研ゼミ始めたら勉強も部活も恋愛も不思議と上手くいくというアレです。

そうは言っても、マンガ版はかなり忠実に原作のエッセンスを抽出していると感じました。原作も一時間半ほどで読み終わる非常にコンパクトな作品ですが、忙しい方はマンガ版だけ読んでも充分理解可能です。

ただし、出来れば原作を読んでほしい。もとが英語の文章なので、訳者によってニュアンスは違うと思いますが、少なくともぼくが読んだ「青空文庫」版(無料)には胸に響く文章がたくさんありました。

覚えておきたい名言や考え方を紹介します。

岡倉天心 日常を美しくする名言・要約

おのれに存する偉大なるものの小を感ずることのできない人は、他人に存する小なるものの偉大を見のがしがちである。

茶道の細やかさに宿る情緒を理解していないであろう西洋人に対しての言葉。『茶の本』はもともと東洋人に対する西洋人の理解を深めるために1906年に出版されたものです。

当時の日本は西洋近代化が最高潮に達した時期で、日本人は西洋文化に憧れ、理解しようと努めていました。しかし逆に日本文化に対する西洋人の関心が薄かったために、天心はそれを憂いニューヨークにて『The Book of Tea』を出版しました。

上記の言葉は、自分の中にある偉大さの些細な端緒にも気づくことの出来ない人は、他人の中にある些細だけれども素晴らしいことも見逃してしまいますよ、といった意味で解釈しました。

茶には酒のような傲慢なところがない。コーヒーのような自覚もなければ、またココアのような気取った無邪気もない。

ぼくがお茶メーカーの人だったら、キャッチコピーに使いたい。

茶道は美を見いださんがために美を隠す術であり、現わすことをはばかるようなものをほのめかす術である。

この奥ゆかしさが日本的な情緒を感じさせますね。

宋の詩人李仲光は、世に最も悲しむべきことが三つあると嘆じた、すなわち誤れる教育のために立派な青年をそこなうもの、鑑賞の俗悪なために名画の価値を減ずるもの、手ぎわの悪いために立派なお茶を全く浪費するものこれである。

いかに茶道が価値あるものかということが分かります。

偉大な絵画に接するには、王侯に接するごとくせよ

『茶の本』では、美や芸術に対する姿勢についても説いています。傑作を理解するためには、身を低くして息を殺し、一言一句も聞き漏らさないというかまえで望まなければなりません。

日本の古い俚諺に「見えはる男には惚れられぬ。」というのがある。そのわけは、そういう男の心には、愛を注いで満たすべきすきまがないからである。芸術においてもこれと等しく、虚栄は芸術家公衆いずれにおいても同情心を害することはなはだしいものである。

誰にも鳴らすことの出来なかった琴を奏でることが出来た名人伯牙は、成功の秘訣をこう語りました。

「他の人々は自己の事ばかり歌ったから失敗したのであります。私は琴にその楽想を選ぶことを任せて、琴が伯牙か伯牙が琴か、ほんとうに自分にもわかりませんでした」

この美術鑑賞に必要な心を、天心は「互譲の精神」としています。対象となるものの精神を自分の中に受け入れられるように「隙」=「虚」をつくることが大切なんですね。

おのれを虚にして他を自由に入らすことのできる人は、すべての立場を自由に行動することができるようになるであろう。全体は常に部分を支配することができるのである。

この言葉、大好きです。

対人関係において、自分という存在を100%自分で構成してしまったらコミュニケーションを取ることは不可能です。50%しか「虚」がなければ、相手によっては受け入れきれないかもしれません。

自分自身を出来る限り「虚」に保っていれば、どんな人でも受け入れられる。相手を包み込む「全体」となることで、「部分」を支配することが出来る。そんな風に解釈しました。

美を友として世を送った人のみが麗しい往生をすることができる。

美しさは決して表面的なものだけではないですよね。わび・さびのような美しさも理解出来るような人間でありたいです。

人生の些事の中にでも偉大を考える

道教が美学的基盤を茶道に与え、禅がそれを実際的なものとしました。この言葉も禅の考え方から出たものです。

冴えなかったマンガ版主人公は、茶道を通して道端のどんぐりにも美しさを見出せるようになりました。この考え方にはとても共感出来ます。幸せのハードルが低いと毎日ハッピーです。

われわれは万有の中に自分の姿を見るに過ぎないのである。すなわちわれら特有の性質がわれらの理解方式を定めるのである。

世界がどう自分の目に映るかは自分次第です。捉え方次第で日常茶飯事のなかにも感動や美しさを見出すことは可能です。

もし物事の価値を理解出来なかったり、悪い面しか見えていないのであれば、問題があるのは自分自身かもしれませんね。

日常に活かせる利休七則

青空文庫版には記載がありませんが、マンガ版で紹介されている「利休七則」というものがあります。茶道の心得として語り継がれる千利休の言葉ですが、日常生活にも当てはまる大切なことなので紹介しておきます。

第一則「茶は服のよきように点て」

おいしく飲みやすいお茶を点てること。抹茶の分量や湯加減も大事だが、それ以上に相手のために心のこもったお茶を点てるのが大切だということ。

第二則「炭は湯がわくように置き」

風炉や炉に炭をつぐ所作を「炭手前」という。どうすれば湯がよく沸くかムダなく見極めることが大切ということ。

第三則「花は野にあるように」

花は自然のまま活けなさいということ。ただそのまま活けるのではなく、野花の美しさや命を盛り込むことに意味があるということ。

第四則「夏は涼しく冬暖かに」

夏には涼しさを、冬には暖かさを感じられる工夫をすること(客をもてなすための心配りが大切)。

第五則「刻限は早めに」

何事も早めに対応することで心に余裕が生まれ、ゆとりある気持ちで人に接することができるということ。

第六則「降らずとも雨の用意」

いつどんなときも臨機応変に対応できる心の準備と、実際の用意をしておくことを怠らないようにすること。

第七則「相客に心せよ」

相客とは茶会で顔を合わせた人たちのこと。縁あって居合わせたのだから、どんな人でも尊重しあい、楽しいひと時を過ごすことが大切ということ。

こういったことを日常生活で自然と実践できる人は魅力的ですよね。覚えておきたい言葉です。

何回も読み返したくなる名著でした。

タケダノリヒロ(@NoReHero

norihiro415: