「白人兵士をひとり送るためには、ルワンダ人8万5000人の死が必要だ」

白人兵士をひとり送るためには、ルワンダ人8万5000人の死が必要だ」とは、NHK出版『ロメオ・ダレール 戦禍なき時代を築く』(ロメオ・ダレール+伊勢崎賢治)にて語られたことばです。

ロメオ・ダレール氏は、1994年のルワンダ虐殺の前後に、国連平和維持部隊の司令官として派遣されていました。

虐殺が始まった当初、さらなる部隊を派遣するかどうかを判断するため、各国の視察団がやってきて、ある国の代表がダレール氏にこんなことを言ったそうです。

司令官、わたしたちはルワンダに来るつもりはありません。兵力の増強を政府に進言するつもりもありません
わたしは言いました。
「なぜですか。ルワンダの惨状をよく見てください」
しかし、彼は次のように答えました。
「状況はわかります。でも、ルワンダには何の戦略的な価値も資源もない。ただ人がいるだけです。すでに多すぎるくらいの人間がね
そして彼は、技術的な評価をしたいと言って、わたしの部下に対して次のように尋ねました。
「昨日は何人のルワンダ人が殺されたのか?」
「今日は何人が殺されたのか?」
「今後2,3日で何人が殺されると推定するのか?」
そんな数字の予測がいったい何の役に立つというのでしょうか。
そして、さらに彼はこう言い放ったのです。
白人兵士をひとり送るためには、ルワンダ人8万5000人の死が必要だ」と。
それがアフリカの人びとの命の価値だったのです。
出典:NHK出版『ロメオ・ダレール 戦禍なき時代を築く』(ロメオ・ダレール+伊勢崎賢治)

ルワンダ虐殺を理解するうえで、国際社会の責任を知ることは非常に重要です。「フツ族からツチ族に対する残虐行為」という民族対立が軸になってはいますが、その背後には植民地支配の影響や、国連や諸外国の介入方法に問題があったために、100日間で約100万人が殺されてしまうような悲劇的な事件に発展してしまったのです。

国際社会の介入において特に影響を及ぼしたとされるのが、1994年のルワンダ虐殺のすこし前に発生した、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ内戦(1992〜1995年)と、ソマリア内戦(特にその中でも「モガディシュの戦闘」と呼ばれる1993年のできごと)です。

ボスニア内戦においては、国連から多数の軍隊が派遣されていました。そのタイミングで発生したのがルワンダ虐殺だったのです。「第二次世界大戦後のヨーロッパで最悪の紛争」と呼ばれるこの戦いに軍隊を送り込んでいるため、アフリカの小国に割く余裕がなかった、というのが当時の先進国の状況でしょう。このことをダレール氏はこう嘆いています。

当時、旧ユーゴスラビアには多数の軍隊を送りこんでいました。アフリカの黒人よりも旧ユーゴスラビアの人びとのほうが重要だとするのには、何か理由があるのでしょうか。わたしたちが気づかない基準のようなものがあるのでしょうか。それとも、それは植民地時代以来の縛りなのでしょうか。
出典:NHK出版『ロメオ・ダレール 戦禍なき時代を築く』(ロメオ・ダレール+伊勢崎賢治)

一方、ソマリア内戦が影響を与えたのは、アメリカの平和維持活動に対する姿勢です。それまでアメリカは積極的に軍隊を紛争地に派遣していましたが、ルワンダの虐殺が始まる半年前の1993年10月、ソマリアの首都モガディシオで米軍の特殊部隊18人が殺されるという事件が発生。米兵の遺体がモガディシオ市内を引き回された後、当時のビル・クリントン大統領は米軍のソマリアからの全面撤退を指示しました。

これを機にアメリカは平和維持活動に消極的になり、ダレール氏の言葉を借りれば「ソマリアの部族軍の司令官たちが国際援助を台無しにした」のです。

このように、ルワンダ虐殺を知るうえでは欠かせない国際社会との関係性ですが、あらためて冒頭の「ある国の視察団の代表」の言葉にもどります。

ルワンダには何の戦略的な価値も資源もない。ただ人がいるだけです。すでに多すぎるくらいの人間がね

白人兵士をひとり送るためには、ルワンダ人8万5000人の死が必要だ

なぜこのような言葉を平気で口にすることができてしまうのでしょうか。

私は、当時の国際社会がルワンダを「見放した」と言われつつも、ひとりひとりの人間の中にはきっと「救いたいけど救えない」というもどかしい気持ちがあったのだろうと思っていました。軍隊を派遣したいけれどもボスニア内戦で手一杯になってしまっていた、ソマリア内戦での痛ましい犠牲で国際協力に及び腰になってしまっていた、ひとりひとりに救いたいという想いがあっても国や国連のような大きな組織を動かすことは容易ではなかった、といった事情には一定の理解を示すことができます。

しかし、この視察団代表の言葉からはそのような想いは微塵も感じられません。ルワンダの人々のことを同じ人間として見てもいないのです。それが本当にショックでした。そして当時ルワンダのことをこんなふうに数字や利益でしか捉えていなかった人は、きっとこの人だけではなかったのでしょう。

国も、組織も、結局はひとりひとりの人間が集まってできたもの。その構成員たちの中に、人を人とも思わないような人間が一定数いたとしたら、悲劇に見舞われているアフリカの小さな国を救う難易度は一気に上がってしまいます。

そうならないためにわたしたちができることは、肌の色や人種や国籍が違っていてもみんな同じ人間であると理解し、それを次の世代にも伝えていくことではないでしょうか。「国際理解」と言うのは簡単です。この結論だけを聞くと、すごく陳腐で軽く聞こえてしまうかもしれません。でも、ルワンダ虐殺の事実とその背景を知ると、それがいかに重要なのか、深い納得感をもって理解することができるはずです。現場でルワンダと国際社会の間で板挟みになり、母国カナダに帰国後はPTSDを患い自殺未遂まで図ったダレール氏は、私たち日本人にできることをこのように語っています。

日本からルワンダに差し出すものはたくさんあるのです。技術移転や資金援助に限りません。大切なことは、何よりもまずルワンダの人びとも人間であるというこの厳然たる事実に日本の人びとが向き合うことです。ルワンダの子どもも日本の子どももこの地球において同じように重要だということを責任をもって行動で示すことです。これは道徳心の問題です
出典:NHK出版『ロメオ・ダレール 戦禍なき時代を築く』(ロメオ・ダレール+伊勢崎賢治)

私は現地ツアーやオンラインで、このルワンダの歴史や現在の姿について伝える活動をしています。もしもっと深く知りたい、現地に行っていまのルワンダを肌で感じたいという方はぜひ下記ページをご参照ください。

オンラインセミナー「大虐殺を乗り越えた国をめぐり考える、ルワンダ ピーススタディツアー」(主催:HISスタディツアーデスク)

ルワンダスタディツアー「スタディツアーSTART」(主催:アフリカノオト)

ルワンダ旅行をオーダーメイドでコーディネート「ルワ旅コーデ」(主催:アフリカノオト)