青年海外協力隊のタケダノリヒロ(@NoReHero)です
先日、先輩隊員のお宅で鶏の解体を見てきて屠殺について興味(っていうと変な感じするけど)が湧き、観てみたいと思ったドキュメンタリー映画『ある精肉店のはなし』
残念ながらネットではその映像は観られないようですが、代わりにYouTubeで観ることが出来たのがこちらの纐纈(はなぶさ)あや監督のインタビュー
なぜ地域に密着する必要があるのか?
『ある精肉店のはなし』の内容が少しでもここから分かればいいなと思って観たインタビューでしたが、図らずも青年海外協力隊の―特にコミュニティ開発としての―活動に対するヒントを得ることが出来ました。地域開発に携わる人であれば、必ず得るものがあると思うのでぜひ観ていただきたいです
特に重要なのが、06:40ごろからの「地域に密着して撮った」点について。「良いこと言うな―!!」と思った部分を書き起こしてみたので引用します
暮らしを撮りたいってなったときに、何か撮りたいと思ったものを撮るためにホテル住まいして、ぱっと撮ってぱっと帰るのでは、やっぱりなかなか見えてこないですよね。
1人の方のこととかその方を理解するのにずっと過去いろいろなことがあったり、あるいは先祖代々いろんなことがあって、あるいは地域の歴史があってっていうなかで、出来ることと言えば時間をかけることしかないっていうか。話を沢山聴くということもありますし、あとは私自身がその場所にいることが特別なことではなくなるという感覚がとっても大事かなと。私がいることが私自身も北出さん(精肉店の方)たちにとっても地域の方にとっても特別じゃない「なんかいつもいるなー」という「またいるんだなー」っていう「まあいていっか」って思って頂けるようになるまではほんとに時間を重ねるしかないというか。だからそのことに対してはすごいお金はないけど時間はケチらないっていう。
(中略)
たとえばインタビューでも、一番最初に何も知らないところで「この仕事についてどう思っていますか」って言って答えてくださる言葉と、1年一緒に過ごした後に「この仕事について改めてどういう仕事と思っているか聞かせてください」って言う時と、使ってる言葉は同じでも1年過ごした相手に対して話す言葉って雰囲気がやっぱり違うというか。そういうところでの距離感みたいなものが、私はすごく意味を置いていて。
もうこれを聴きながら何度も頷いてしまいました
縁もゆかりもない地域に入って、そこに住む人たちのことを理解しようと思ったら、「出来ることと言えば時間をかけることしかない」し、「私自身がその場所にいることが特別なことではなくなるという感覚がとっても大事」だし、そうすることによって表面的だった言葉が「1年過ごした相手に対して話す言葉」に変わってくるんですよね
問題を「自分ゴト」化する
これがまさに、青年海外協力隊の、コミュニティ開発隊員としての自分にとっての理想とも言えるアプローチの形だと思いました。纐纈あや監督は、『ある精肉店のはなし』や前作の『祝の島』でこうして地域に入り込んで地域の方々と一緒に時間を過ごすなかで、遠い存在だった被差別部落や原発の問題を自分の問題として捉えられるようになったと語っています
ぼくが青年海外協力隊に参加したいと思ったのも、他人事である社会問題を「自分ゴト」化したい、手触り感を得たいという理由からでした。以前から社会貢献や国際協力に興味はあったものの、その支援の対象となる人たちがどんな暮らしをしているのか、どんな思いで暮らしているのか、全然理解出来てないんじゃないかと
そこで始めたのが、村の家庭を一軒一軒訪問して、その様子をムービーにおさめる「1000 smiles プロジェクト」です。これを始めたことによって、表面的にしか分かっていなかった地域の方々の生活も、少し実感を伴って理解出来てきたかなと思っています
ただし、インタビューで監督が語っているように、1年過ごした時に同じ質問をして同じ答えが返ってきたとしても、きっと相手の伝え方も、こちらの捉え方も変わってくるはず。2年間という協力隊の任期をフルに使って、ゆっくりゆっくりこの地域にとって「特別でない」存在になっていければなと思います
青年海外協力隊は「自分に何が出来るのか」という無力感との闘いだと常に思っていますが、こうやって地域に入り込んで、特別でない存在になり得ることが協力隊の強みの1つではないでしょうか。だからこそぼくらがこんな家中を見たこともないような虫が走りまわって、道路を歩けばすぐ鼻の穴が砂埃だらけになって、「チンチョンチャン」とバカにされるようなところに住んでいる意味があるんです(ぼくの村はわりと快適ですが)
その村にいる日本人の自分だから出来ることがあると信じて、とことん地域密着でやっていきましょー
タケダノリヒロ(@NoReHero)