ルワンダ青年海外協力隊のタケダノリヒロ(@NoReHero)です。
このブログを見てくれた慶應大学の公認団体S.A.L.の方々が、ぼくの任地ムシャセクターまで来てくれました。
スタディツアーとしてルワンダ・ウガンダをまわり、ムシャでは住民の家でホームステイを体験。ホストファミリーからジェノサイドの話を聞いたり、一緒にご飯を食べたりして、他所では得られない体験が出来たようです。
いったいどんな2日間だったのか。彼らの感想も交えてご紹介します。
どんな家に泊まったの?
今回4名の学生さんたちの受入れをお願いしたのは、ぼくが家庭調査を通して出会ったなかでも最もフレンドリーで、最も裕福な2軒。どちらも快く引き受けてくださいました。
片方の家庭はこんな感じ(この地域では飛び抜けて裕福です)。
こちらはリビング
余裕でぼくの家より豪華……。
学生さんが利用した客室
夕食
食事もレストランのビュッフェ並み
朝食はパン、オムレツ、アボカド、バナナ…その辺のゲストハウスよりリッチですね。
ムシャでの初めてのホームステイ受け入れということもあって、正直ぼく自身多少の不安はありました。
でもホストファミリーがこうやって最大限おもてなしをしてくださったので、学生さんたちにも満足してもらうことができたようです。よかったよかった。
いきなり虐殺の話に
9月13日(火)のお昼過ぎ、4名の学生さんたちがムシャセクターに到着。そこからホームステイ先に全員で挨拶に伺いました。
2軒目のお宅で迎えてくれたのは、お母さんのフェザと近所のお兄ちゃんジャンビエ(21歳)。この村では英語が話せる人が少なく、フェザもそのひとりですが、ジャンビエが我々の間に入って通訳をしてくれました(若者は英語教育を受けて話せる人が多い)。
「名前はなに?」「歳はいくつ?」「どんなところに住んでるの?」「ルワンダと日本の違いはなに?」などなど、当たり障りのない会話が一段落したところで、急にジャンビエがこんなことを言い出しました。
「ジェノサイド(※)について聞きたいことはない?」
※1994年に発生。犠牲者数は約100万人(国民の約10%)と推測される
これにはドキッとしました。ルワンダでジェノサイドについて語ることはタブーとされているからです、
しかし、S.A.L.のみんなにとっても、ぼくにとっても、知りたくてもなかなか知る機会のない問題です。せっかくなので、それぞれ疑問に思っていたことを聞いてみることに。
当事者の語るルワンダ虐殺
まず、衝撃的だったのがホストマザーであるフェザの旦那さんもジェノサイドで殺されていたということ。
ジェノサイドによって沢山の人が亡くなったことは事実として知っていましたが、こうやって顔も名前も知っているご近所さんから聞く話には、とてつもない手触り感がありました。
いつも笑顔で元気なお母さんが、涙を流しながら話していたのがとてもショックでした。
「ジェノサイドが起こってまだ22年しか経っていないけど、なぜルワンダはここまで復興できたの?」
「ジェノサイド直後の生活はとても厳しかったけど、カガメ大統領が以前の政権を倒して良い方向に導いてくれたおかげだよ。だから彼にはとても感謝してる」
独裁者と批判されることもあるカガメ大統領ですが、やはり国民からの信頼は絶大ですね。
「お母さんは旦那さんを殺されたことをいまどう思ってるの?」
「忘れられないけど、許すわ」
「毎年4月にはセレモニーをやってるけど、そういうのを見て辛くならない?」
「セレモニーには出ないこともあるの」
ぼくもこの4月に行われた追悼式に出席しましたが、号泣して叫んだりパニックを起こしてしまう人もいるほどでした。フェザにとっても、まだ式に出席するのは簡単なことではないようです。
「許す」という言葉は、他のルワンダ人からも何度か聞いたことがあります。肉親を殺されたことを「許す」という行為に、どれほどの痛みが伴うかはぼくには計り知れません。
ただ、これが単なる殺人ではなく「ジェノサイド」という国家的な問題で、民族対立をはじめとして様々な要因が絡んでいたからこそ、特定の誰かを恨むわけにもいかないのかなと、ぼくは思っています。
この話の最後に、ジャンビエが言っていたことが印象的でした。
「ぼくらはこのジェノサイドのことを決して忘れてはならないんだ。ぼくらの世代(当時生まれていなかった世代)も次の世代に語り継いでいかなきゃいけないと思ってるよ」
ジェノサイドは若者世代にも重要な出来事として認識されています。
ジェノサイドと簡単に比較することは出来ませんが、自分は日本の戦争や原爆、原発のことを他人事ではなく「ジブンゴト」としてどこまで捉えられてるかなと改めて考えさせられました。
ホームステイの感想
以下、ムシャセクターを訪れた4名の学生さんたちの感想です。
ルワンダは、「アフリカのシンガポール」と呼ばれるほど高い発展レベルを誇る国です。首都キガリでは、至るところに並んだガラス張りの高層ビルやスーツを纏ったビジネスマン達の姿が目立ち、この国の更なる発展を助長させるようなエネルギーが感じられました。
その一方で、竹田さんのお勤め先であるMushaでは、首都の喧噪とはかけ離れたのどかな雰囲気が漂っていて、ゆったりとした時間を過ごすことができました。お店で軽い食事を注文しただけでも、出てくるまでに大抵1時間くらいかかるし、隣の席に座っていただけで大して仲良くもない現地のおじちゃんがいきなりビールをおごってくれたり、どこから来たかもわからない僕らに笑顔で挨拶してくれたりと、マラリアとデング熱にもかかるし(完全に自分の責任です。笑 他のメンバーは全員かかりませんでした)、普段の大学生活では体験することのできない時を過ごすことができました!
ホームステイ先では、23歳の男の子と仲良くなり、お互いの国のことや、ルワンダの将来についてたくさん話すことができてよかったです。
竹田さん、2日間本当にお世話になりました。ありがとうございます!
野尻さん
ムシャは自分が想像していた以上に自然豊かな綺麗な場所でした。短い間だったけれど、ホームステイ先で実際に営まれている村の生活を間近で見ることができ、貴重な経験をありがとうございました!首都キガリとの生活とも比較でき、考えさせられることが多くありました。今回の2週間の滞在では足りず、ルワンダの魅力をもっと知りたいので、また春に行きます
森川さん
ムシャでのホームステイ。短かったけれども、とても貴重な体験でした。ルワンダ人の優しさ、強さ、気遣い、忍耐力を実感できました。これからの活動も引き続きご健闘下さい。
木下さん
ムシャは自然が多く、人懐っこい住民の多い場所です。首都キガリで出会った研究者は、現代ルワンダが抱えている最大の社会問題は都市部と近郊における発展度合いの格差だと言っていました。確かにムシャはキガリと比べれば発展の遅れている地域のように見えます。しかし、貧困・最果てなどの悪い印象は全くなく、むしろルワンダの中ではめずらしく素朴であたたかいアフリカらしい場所であるように感じられました。
私がホームステイさせていただいたFezaさん宅はジェノサイドの生存者でもあるママ、息子(普段は南部の大学に通っているが現在は夏休みで帰省中)、娘、その娘の4人家族でした。一家の父はジェノサイドのときに殺されてしまったそう。普通の観光旅行では、ルワンダの人たちが実際のところジェノサイドについてどう思っているのかを聞くことはできません。ジェノサイドは、当事者の彼らの心に今でも深く爪痕を残している記憶で、外部から来た私たちには彼らのこころのその溝に入り込む余地がないからです。しかし私たちのホストママは「ジェノサイドを風化させてはいけない」と、涙を流しながらも私たちについて彼女自身のジェノサイドの経験、復興の時期の彼女の努力を語ってくれました。
夕食はビュッフェで並べてあるのとほとんど同じで、お米、パスタ、蒸した芋、ソース(日本人の感覚だとカレーに近い)、野菜の煮物、お肉の煮物でした。
夕食のあと、娘のミミが淹れてくれたアフリカンティーを飲みながらもう一度ママと話しました。このとき私は、ルワンダに到着以来ずっと見てきたルワンダでは当たり前の光景に少し驚かされたことをママに伝えました。
「日本や欧米諸国では最近、イスラームやムスリムのことをよく知りもせずに批判する傾向が強まっているの。でもルワンダは違う。ルワンダにはキリスト教徒が多いけれど、街をあるけばスカーフをかぶって、一目でそれとわかるムスリムがたくさんいる。宗教の垣根を越えてルワンダの人たちが仲良くしている様子に感動した。この共存の秘訣をルワンダで学び、日本にも持って帰りたい!」私がこう言うと、ママは大きく頷いて一言、『あなたのことが大好きになったわ』と言ってくれました。そのあとも庭で飼っている牛からとった新鮮な牛乳をたくさん入れたチャイを飲みながらママとたくさんお話しました。
私が使わせていただいた部屋は、普段はミミが寝ている部屋で大きなベッドが置いてありました。ルワンダ到着以来ずっと安宿の薄いマットレスで寝ていたので、この日は久しぶりにふかふかのベッドでゆっくり眠れました(笑)
朝ごはんは家庭菜園で採れたアドカド、バナナ、パン、オムレツに昨夜と同じチャイでした。ここで一つ驚いたのですが、ルワンダの人たちは果物のように皮を剥いてそのままアボカドにかぶりつきます。塩をもらってかけたほうがおいしかったです。
一泊だけのホームステイだったのでこれでホストファミリーとはお別れでしたが、私にとってはかけがえのない二日間になりました。ホームステイ馴れしていないルワンダの人たちの日常生活そのものに入り込み、彼らの底なしの優しさに触れられたのは一生わすれられない思い出です。
ムシャに住んで、これからも彼らに会える竹田さんが羨ましい。。。竹田さん本当にありがとうございました。Fezaさん一家にもお礼を伝えておいてください。
菅原さん
想い出をつくる仕事
菅原さんに「一生わすれられない思い出」というコメントを頂きましたが、これはとても嬉しいことです。
ぼくはボランティアなので、住民たちが望むような物的・金銭的支援をすることは難しい…じゃあ「この地域にいるひとりの日本人として何が出来るか?」と考えると、「ここに住む人・訪れる人にひとつでも多く想い出を残すこと」なのかもしれないなと思っています。
4人の学生さんたちが帰って数日が経ちましたが、道を歩いていると村人から「カリサ(野尻さんがもらったルワンダネーム)たちはどこに行ったの?」としょっちゅう聞かれます。
この地域に外国人が来ることなんて滅多にありません。そこに日本人の若者が4人も来て、住民の家に泊まって、住民と話して、帰って行った。ただそれだけのことですが、ここに住む人たちにとってはすごく意味のあることだったと思っています。
想い出は人を強くする。想い出で人は変われる。このムシャセクターで過ごせる残り1年と3ヶ月。ひとりでも多くの人と、ひとつでも多くの想い出を共有できますように。
タケダノリヒロ(@NoReHero)
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