映画『ルワンダの涙』あらすじ・感想!『ホテル・ルワンダ』との違い

 タケダノリヒロ( @NoReHero

映画『ルワンダの涙』のあらすじ、感想、『ホテル・ルワンダ』との違いについて書いた記事です。現地在住歴3年の日本人から見た所感もまじえて。

この映画は、1994年に起きたジェノサイド(虐殺)について描いています。製作スタッフやエキストラとして、虐殺を生き延びた方々も多くたずさわっているので非常にリアリティがあり、その分観ると辛くなってしまいますが。。

ルワンダ虐殺の悲惨さを知るうえではとても良い作品ですので、未見の方はぜひ。

すでに観た方は、私の感想を書いているので「このシーンが印象的だった」「ここに共感した」といったコメントがあれば、ぜひツイッターでお寄せください。

あらすじ

あらすじ前半

  • 英国人教師ジョー・コナー(ヒュー・ダンシー)は、英国ローマン・カソリック教会のクリストファー神父(ジョン・ハート)の運営するルワンダの公立技術専門学校にボランティアとして赴任
  • 1994年4月6日夜、フツ族出身のハビャリマナ大統領の飛行機が何者かに撃墜され、フツ族によるツチ族への虐殺(ジェノサイド)が発生
  • 学校は数千人のツチ族難民のための避難所となる
  • 現地には国連平和維持軍も派遣されていたが、彼らの任務は「平和維持」ではなく「両民族の監視」だったため、フツ族に虐殺されるツチ族を助けようとはしなかった
  • 国連軍にも犠牲者が出た(参照『ベルギー平和維持軍祈念館(Belgium Peacekeepers Memorial)から学ぶルワンダ虐殺』)ため、国連軍に撤退の指示が
  • 国連軍が撤退すれば、インテラハムウェ(フツ族の民兵)が学校になだれ込み、避難民が襲われてしまうことは目に見えている
  • ジョーとクリストファー神父にも、その場を離れるかどうか決断が迫られる

あらすじ後半(ネタバレあり)

  • ジョーは生徒たちを置いていくことに罪悪感を感じながらも国連のトラックに乗り込むが、クリストファー神父は留まることを決意
  • 残ったクリストファー神父は避難民たちと協力して、トラックの荷台にマリーら子どもたちを隠し、外へ出る
  • 夜になりクリストファー神父が運転していたトラックは民兵たちに止められ尋問にあう
  • クリストファー神父は尋問されている間に子どもたちは荷台から脱出し逃げるが、神父は銃で打たれ命を落とす
  • 5年後、イギリスで教師をしているジョーのもとにマリーが会いに来て、当時について語る
  • 【エンディングクレジット】
  • 「技術学校で国連軍に放棄されたルワンダ人2500人以上が民兵に殺された」
  • 「同年4月から7月には80万人以上のルワンダ人が集団虐殺された」

 

原題 ‘Shooting Dogs’ の意味

この映画の邦題は『ルワンダの涙』ですが、英語の原題は’Shooting Dogs(=犬を撃つこと)‘となっています。

なぜこのようなタイトルになっているかというと、死体を食べる犬を国連軍が撃とうとするシーンがあるからです。

国連軍は上からの「命令(mandate)」があるため、銃は自衛のためにしか使えず、ツチ族を虐殺するフツ族を止めることはできないと再三言っています。

しかし、学校の門の前で死体を食べる犬に対しては「衛生上の問題もあるし」撃ち殺すと言うのです。

それに対してクリストファー神父は「犬を撃つのは先に犬が撃ってきたからだろうな」「なぜ下らん命令に従うんだ?」「『衛生上の問題』は次々と作り出されるぞ 連中の手で! 連中のナタで」と激昂します。

真っ先に止めるべきと思われる虐殺は見逃し、そこで使うはずの銃を犬に対して使おうとする国連軍や現場環境の異常性を象徴することばとしてタイトルに使われたのではないでしょうか。

ちなみに、現在のルワンダではほとんど犬(と猫)を見かけません。もちろんまったくいないことはありませんが、その他の国では一番よく見かけると言っても過言ではない動物なので、その少なさに気づいたときには非常に不思議な感覚になりました。

ルワンダ人にその理由を聞くと、案の定「虐殺のときに犬も殺されてしまったからだ」と言っていました。

いまでは一見平和なルワンダですが、そんなところでも虐殺の影響を感じ取ることができます。

印象的だったセリフ・シーン

映画を観て個人的に印象的だったセリフやシーンをまとめました。

血まみれのナタをもつフランソワ

学校の整備係として働くルワンダ人のフランソワ。

ジョーとともにに実家を訪れて、バナナビールのまずさを一緒に笑い合うなど、良き友として描かれています。

しかし避難民が学校に押し寄せてくると、「おれはフツ族だ ツチ族に憎まれてる」「ツチ族は昔のようにフツ族を奴隷にしたいんだ」と言って学校を離れてしまいます。「大統領が殺されればおれたちも危ない 自衛か死かだ」という言葉を残して。

しばらく後にジョーも一時的に学校を出ますが、民兵の検問で捕まってしまいます。そこに現れたのが、血まみれのナタをもつフランソワでした。

しかも捕まっているジョーを心配するでもなく、不気味に笑っているのです。その姿が一般市民たちが暴徒と化してしまったルワンダ虐殺の異常さを物語っているようで、とても恐ろしいシーンでした。

これも人間の姿であり、人はどれだけでも残酷になり得るということに気付かされます。

デロン大尉のインタビュー

学校に駐留しているものの、ツチ族を襲うフツ族を止めようとしない国連のデロン大尉に対する、BBC記者のインタビューです。

BBC記者「この敷地の外では今も虐殺が」

大尉「(…Yesと小さく答える)」

BBC「阻止しないのですか?」

大尉「命令されていないし 武器が使えるのは自衛のみなので

BBC「これは集団虐殺(ジェノサイド)では?」

大尉「(Ah…と口ごもる)」

BBC「だとすれば介入の義務がありますね」

大尉「カメラを止めて……止めろ!」

大尉「私に権限はない たとえ無能と思われても命令に従うしかないんだ

BBC「でも国連は…」

大尉「命令を下すのは安保理だ 本部に訴えてくれ 我々も努力した 君たちもやってみろ」

一見悪人のように見える大尉ですが、「祖父母はナチが侵攻したとき20~30人のユダヤ人をかくまった」「ほかの人々が密告する中で、祖父母が彼らを守ったことが自分の誇りだ」とも語っています。

つまり、彼自身にも弱い立場の人たちを守りたいという想いがありつつ、軍という組織のなかで命令に従うことしかできない葛藤があるのですね。その歯がゆさがインタビュアーに対する苛立ちとしてあらわれたのではないでしょうか。

涙が出ないBBC記者

BBCの記者も複雑な感情を抱えています。「(以前取材していた)ボスニアでは毎日泣いていたけど、ここ(ルワンダ)では涙が出ない」と言うのです。

ボスニアの白人女性の死体を見ると連想したの

これが母だったらと

ここの死体はただの死んだアフリカ人

結局――

私たちは自分勝手な人間なのよ

ボスニアの白人女性の遺体を見ると母のことを思い涙が出たものの、ルワンダでは「ただの死んだアフリカ人」としか思えないと。

そして「ひどい人間でしょ、私」と言わんばかりに自嘲気味にフッと笑うのでした。

作中では避難しているルワンダ人には手が差し伸べられないのに、白人だけが優先的に助けられるシーンが何度も描かれています。

どんな差別もあってはなりませんが、人種や国籍に違いがあることは事実です。それをどこまで自分事として捉えられるか。

ヨーロッパ人とアフリカ人は違う。フツ族とツチ族は違う。

おなじ人間であるにもかからわず、まるで違う生き物のように考えてしまうことでこのような悲劇につながってしまったのかもしれません。

『ホテル・ルワンダ』との違い

ルワンダ虐殺を描いた映画作品で他に有名なものには『ホテル・ルワンダ』(2004年)があります。

双方の特徴を知るためにも、この『ホテル・ルワンダ』と『ルワンダの涙』を比較してみました。

主人公の違い(ルワンダ人か白人か)

『ホテル・ルワンダ』ではルワンダ人が主人公でしたが、『ルワンダの涙』では白人(ジョーまたはクリストファー神父)が主人公となっています。

だからこそ、ルワンダでは外国人となる私たち日本人も『ルワンダの涙』のほうがより強く共感することができるのではないでしょうか。

特にジョーは、ボランティアとしてルワンダに派遣されており、日本でいうと立場は青年海外協力隊のようなものです(字幕では「国際協力隊」と書かれていました)。

私ももともとは青年海外協力隊としてルワンダで活動していたので、「もし自分がジョーの立場だったら、あんなに生徒を想って行動できるだろうか」「撤退の決断を迫られたときにどうしていただろうか」と考えさせられました。

外国人の視点から描かれているため、目の前で命を脅かされているルワンダ人たちに対して、現場にいるのにどうすることもできない「無力感」や「葛藤」を強く感じることもできますね。

撮影場所の違い(南アフリカかルワンダか)

この二作品の大きな違いとしては、『ホテル・ルワンダ』の撮影はほとんど南アフリカでおこなわれたことに対して、『ルワンダの涙』はそのシーンを描写するオリジナルの場所で撮影されたことも挙げられます。

出典:ルワンダの涙 – Wikipedia

私はルワンダに3年ほど住んでいるのですが、本作で描かれている街並みや家やお店の室内などには非常にリアリティがありました

ジョーやクリストファー神父が住んでいる家のキッチンには、ルワンダでよく見る洗剤やアルミホイルに似たものが置いてあります。

また、神父が薬を買いに行くお店(アリメンテーションやブティックと呼ばれる)の、カウンターがあってその後ろに商品が雑多に並んでいる感じも、まさに私たちがふだん買い物をしているお店の雰囲気そのままでした。

いまでこそたった25年前に虐殺があったなんて信じられないほど平和になったこの国ですが、そこまでリアルに描写されているからこそこの虐殺は実際にここで起きたできごとなんだ、と実感させられます。

その辺の道端ですれ違う人も、レストランで接客してくれる人も、タクシーを運転してくれるドライバーも、25歳以上であればみんな虐殺を経験してきた人たちです。

こんなにも壮絶な体験を経てきたにもかからわず、思いやりをもっておだやかに暮らしている彼らへの畏敬の念をあらためて感じさせられました。

正直、ともすれば「観なければよかった」と思うくらい残酷な作品ですが、だからこそ記録として、記憶としてとどめておかねばならないのだとも思います。

「差別は良くない」「暴力反対」「弱者には手を差し伸べるべき」と思う人はぜひ観てほしいです。それだけじゃ救われない世界もある、という不条理さを突きつけられる作品でした。