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アフリカ・ルワンダ在住者の【音楽×読書×遠距離恋愛】ブログ

息子を喰う「ムスコン」母急増中!?桜庭一樹『私の男』に見る禁断の愛

time 2016/09/24

本日はキラキラ系爽やかブログに似合わず、少しどろどろしたアダルティなお話です

SNSで見かけた衝撃的な記事と、父と娘の恋愛を描いた小説について

衝撃の記事

こんな記事が出ていました

「息子の初体験は私が!」暴走する”ムスコン”母はなぜ生まれる

以下、一部抜粋

「やっぱり男の子は可愛くて。将来、変な女と関わるくらいならいっそ、私が息子の初体験の相手をしようかと…」――。

まだ息子が紙オムツをしていた1年ほど前の日のこと、オムツ替えの際、「遠い将来、どこの馬の骨ともわからない女に、この子の体を触られたくない」との思いがふつふつと沸いてきた。息子は自分のものだ。好きにしていい筈だ。気がつくと当時3歳の息子の性器にキスしていた。遠い将来、よく知らない女にそうされる前に、母親である自分がそうする権利があるとの思いからだ。

しかし、その様子を見ていた夫からは、「お前は何をしているのだ」と激怒され、暴力を振るわれた。それでもアイコさんは、「自分がお腹を痛めて産んだ子に愛情を表現して何が悪いのか」との思いで一杯だった。

以前だったら「なんじゃこれ、気持ち悪…」と思って済ませてたと思うんですが、ちょうど昨日読み終わった本がまさにこんな「親子の恋愛感情」を扱った小説で、少し考えさせられてしまいました

桜庭一樹『私の男』

それが、これ。直木賞を受賞した、桜庭一樹さんの『私の男』

私の男私は腐野花(くさりの・はな)。着慣れない安いスーツを身に纏ってもどこか優雅で惨めで、落ちぶれた貴族のようなこの男の名は淳悟(じゅんご)。私の男、そして私の養父だ。突然、孤児となった十歳の私を、二十五歳の淳悟が引き取り、海のみえる小さな街で私たちは親子となった。物語は、アルバムを逆からめくるように、花の結婚から二人の過去へと遡ってゆく。空虚を抱え、愛に飢えた親子が冒した禁忌、許されない愛と性の日々を、圧倒的な筆力で描く直木賞受賞作。

引用元:Amazon.co.jp

浅野忠信、二階堂ふみ主演で2014年に映画化もされています

主役ふたりも高良健吾も藤竜也もモロ師岡も配役がぴったりすぎる…

簡単に言ってしまえば、「近親相姦」のお話

震災で家族を亡くした9歳の花を25歳の親戚、淳悟が引き取るところからふたりの物語は始まります

ただし、小説のストーリー自体は花が24歳→21歳→16歳→12歳→9歳と、各章で語り手を変えながら時代を遡っていく展開。なぜ花と淳悟がこのような関係になってしまったのかが徐々に明かされていきます

※以下、ネタバレあり

親子のあいだでしちゃいけないこと

もっとも印象的だったのは、花と大塩さんが流氷の漂う海辺で口論するシーン

「親子のあいだで、しちゃいけないことなんて、この世にあるの?」

獣のように。

「誰よりも、大切なのに」

獣のように。

「だって、血が繋がってる。ほかの誰ともちがう。しちゃいけないことなんて、なにもない。父と娘のあいだには」

大塩さんが叫びかえした。確信に満ちた、渾身の言葉だった。

「ある」

「黙れ」

「あんたはまだ子供だから、わからんのだ。世の中にはな、してはならんことがある。越えてはならん線がある。神様が決めたんだヨォ」

「親子のあいだで、しちゃいけないことなんてあるの?」と問う花に対して、「越えてはならない線がある」という大塩さん

そこに納得のいく理由はありません。とにかくイケないことだ、ダメなんだと

大塩さんの言うことはもっともですし、花の身を心から案じた善意に満ちた説得です

でも、この花と淳悟の物語を読み、その背景を知ると「決して分からなくはない」という気持ちにさせられてしまいました

みなしごの親子

花が淳悟に引き取られるまで一緒に暮らしていた父親は、じつは本当の父親ではありませんでした。花は母親と淳悟との間に出来た子どもだったからです

そのためきょうだいでも花だけが明らかに似ておらず、周囲から疎まれていただけでなく、家族のなかにも居場所がありませんでした

しかし淳悟はその孤独を一瞬で見抜きます。花はそれに安心感を覚え、当時は彼が実の父であるとは知らなかったものの「この人なしでは生きていけない」と本能的に思うようになります

一方の淳悟も、早くに父親を亡くしています。それ以降、優しかった母親も女手ひとりで淳悟を育てるために一変して厳しく接し高校生の時に亡くなってしまったため、淳悟は両親の愛情を感じることなく育ちました

それゆえに母性愛に飢えていた淳悟は、その欠落した感情を花に求めるようになります。花も似たような境遇から淳悟の孤独を理解し、受け入れるように

「みなしごの親子」であるふたりには、お互いの存在以外に理解し合える人はおらず、ふたりの世界が出来上がってしまったのです

そしてそこに「殺人」というふたりだけの秘密が混じることにより、ふたりの関係性はより分離できないものになってしまいます

「自分のもの」に対する違和感

しかし、違和感を覚えた点がありました

それはたびたびふたりが口にする「花はおれのものだ」「わたしは淳悟のもの」「淳悟はわたしのもの」という台詞です

小説と現実の世界で比較するのはナンセンスかもしれませんが、冒頭に紹介した「ムスコン母」も「息子は自分のものだ。好きにしていい筈だ。」と考えているようです(もちろんこの記事自体の信憑性、こんな人が実在するのかも疑わしいところですが)

これは違う

子どもは自分のものじゃないし、親も自分のものじゃない

だから好きにしていいわけなんかない

「越えてはいけない線」を越えるか越えないかは、相手を「個人」として認められるかどうかにかかっているのではないでしょうか

相手を個人として認めるためには、その相手に依存しないこと、自立することが求められます

しかし、人生の序盤において花も淳悟も、愛情というものが欠落しすぎてしまいました

通常、子どもにとっての親とは、いつでも安心して戻ってこれる場所であるセキュアベース(安全基地)」として存在しています。だからこそ、子どもは親から離れて自立していける

ところが、淳悟にはそのセキュアベースがなかった。だからいつまでも子どもの部分が残っており、花に対してもセキュアベースとしての役割を果たすことが出来なかったのではないでしょうか

意識されていないことに名前を与える

この社会では、肉親に対して恋愛感情を抱かないのが「ふつう」とされています

でも、もしかしたら花や淳悟のように何らかの事情があって、「ふつうではない」感情を抱いてしまう可能性だってあるんです

著者の桜庭一樹さんは、インタビューでこのように語っています

私はこの小説で、ふだんあまり意識されていないことに名前を与える行為をしたかった

「桜庭一樹って、どこからこんな発想出てきたんだろ。もしかしてとんでもないエロオヤジなのかな…」とページをめくるにつれて心配になってしまったんですが、女性でした。ちょっと安心

桜庭さんの思惑通り、まったく意識したことのなかったことを考えさせられたので、この小説の意義を実感しています

北海道の黒く冷たい海の匂い、少女と大人の間を揺れる花の「女」としての匂い、湿った雨のような暗さと安心感が入り混じった淳悟の匂い、さまざまな香りが行間から立ち昇ってきて圧倒されました

小説ってすげえ

タケダノリヒロ(@NoReHero

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タケダノリヒロ

1989年生まれ。アフリカのルワンダでボランティア(青年海外協力隊)やってます。Africa Quest. comライターとしても執筆中。 音楽×読書×恋愛×生き方・はたらき方→『タケダノリヒロ.com』 ルワンダ情報専門サイト→『ルワンダノオト』 ※当ブログ記載内容はJICAおよび青年海外協力隊の見解ではなく、個人の見解です。 [詳細]