ルワンダノオト

ブログ×国際協力×遠距離恋愛@ルワンダ青年海外協力隊

M・スコセッシが映画化!小説・遠藤周作『沈黙』感想

time 2017/01/23

マーティン・スコセッシ監督によって映画化された、遠藤周作の小説『沈黙』(1966)

Amazon.co.jp: 沈黙(新潮文庫) eBook: 遠藤周作: Kindleストア

この機会に、名作と名高いこの作品をはじめて読んでみました。

キリスト教弾圧下の日本にやってきたポルトガル人宣教師が、命がけで神の存在と自分自身の生き方について自問自答する物語。

涙を流すような激しい感動こそありませんでしたが、きっと数十年後でもふとしたときにこの作品のことを思い出すだろうなと思うほどの小説でした。

特にぼくはいま、国民の9割がキリスト教徒であるルワンダで暮らしているため、キリスト教と人々の暮らしについて、自分の生活に置き換えて考えることができました。

いままで「なんでそこまでして信仰するのかよく分からん」と思っていたキリスト教ですが、すこしは理解できたかな。

宗教がテーマになっていますが、「宗教なんて自分には関係ない」と思わずに読んでみると、生き方を省みるきっかけになるような普遍性の高い作品です。

この記事では、本作品から得た感想を以下の3点にまとめてみました

  1. 立場の異なる人との超えがたい壁
  2. キリスト教徒はなぜ神を必要とするのか
  3. 人生で大切なことはなにか

後半、一部ネタバレありです。

『沈黙』の映画版予告

まずは映画版の予告編から。

うおおおおぉぉぉ…観たい…

この予告編を観てから原作を読んだのですが、キチジロー役の窪塚洋介がハマりすぎです。

人間のズルさ・弱さとやさしさ、その感情に板挟みになって苦悩する若者をここまでリアリティを持って演じられる人は他にいないんじゃないでしょうか。

予告編を観ただけでも強烈なインパクトを残してくれます。

それからイノウエ(井上筑後守)役はイッセー尾形。この演技が評価されて、アカデミー賞もあり得るのでは?と言われてるそうですね。

『沈黙』あらすじ

あらすじはこんな感じ。

島原の乱が鎮圧されて間もないころ、キリシタン禁制の厳しい日本に潜入したポルトガル人司祭ロドリゴは、日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、ついに背教の淵に立たされる……。神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、〈神の沈黙〉という永遠の主題に切実な問いを投げかける長編。

引用元:Amazon

『沈黙』の感想

立場の異なる人との越えがたい壁

【この段落のネタバレレベル★☆☆】(結末は分からないけど、途中の重要シーンを解説してます)

この作品では「キリスト教徒対非キリスト教徒」という構図が描かれていますが、対立しているのはそれだけではありません。もっと一般的に、立場の異なる人との対立や不理解が描かれていると感じました。

同じ人間と思ってない?

たとえば、食事をする主人公・ロドリゴたちを物珍しげに見る村人たち。

そんな村の様子を、家畜の臭いがするなどと蔑むように描写するロドリゴ。

これ、どっちの立場もすごくよく分かります。ぼくもアフリカのルワンダの片田舎で、まわりに外国人なんて全然いないところに住んで、ロドリゴたちのように村人たちからジロジロと見られてるからです。

「こんなに無遠慮に見てくるなんて、同じ人間だと思ってないんじゃないか」と感じる一方で、村人に対しても「よくこんなところに住めるなあ」と蔑みのような哀れみのような気持ちを抱いてしまうこともあるのが正直なところです。

だから、この小説を読んで、「立場の異なる人との越えがたい壁」を改めて感じました。

ロドリゴよりも前に来ていた宣教師について、「(日本の)家を嘲り、言葉を嘲り、食事や作法を嘲られておられた」と語る通訳。

さらし者にされるロドリゴに石を投げる子どもや、あざ笑う町の人たち。

キリスト教徒に対して、想像を絶する拷問を与える役人たち。

そして、「おなじ村の中でさえ、部落が違えば争い合うこともある」とロドリゴが語る場面もあります。

「キリスト教徒対非キリスト教徒」という対立だけでなく、「西洋人対日本人」、「武士対農民」、「部落A対部落B」など、宗教や国籍、身分が違えば、人はこんなにも冷酷になってしまうんですね。

通辞からロドリゴへのことば

そんななかで、終盤「転ぶ(棄教する)」ことを迫られるロドリゴに対して、通辞(通訳)が言ったことばが、一種の救いのように感じられました。

「なあ、悪いことは言わぬ。転ぶとただ一言、言うてくれ。たのむ。もうこの馬はお前のおった牢には戻らぬ」 「どこへ連れていくのです」 「奉行所だ。わしはお前を苦しめたくはない。たのむ、悪いことは言わぬ。一言、転ぶと言うてくれぬか」  司祭は唇をかんだまま裸馬の背で黙っていた。頰から流れた血が顎を伝わっていった。通辞はうつむき、片手を馬の腹に当てながら寂しそうに歩きつづけた。

この通辞は、通訳としてロドリゴのそばでともに時間を過ごしてきたことで、彼を同じ人間として感じることができたんだと思います。

立場の違う人間に対して、無機質で残忍な行為を平気でやってのけてしまう描写が多いなかで、このシーンは「立場が違っても心を通わせることができる」という希望を感じさせるものでした。

キリスト教徒はなぜ神を必要とするのか?

【この段落のネタバレレベル★★★】(結末とタイトルの意味が分かります)

 

ぼくは特になにかの宗教に熱心なわけではないので、「宗教に熱心な人ってなんでそこまでできるんだろう」とずっと不思議に思っていました。

もちろん宗教が大切だって人もいることは理解してるつもりですが、ストレートに言ってしまえば、「そんなことをして何の意味があるんだろう」とずっと疑問だったんです。

そしてそんなぼくと同じように、なんと司祭であるロドリゴも似たような問いに直面します。こんなに民が苦しんでいるのに主がなにもしてくれないということは、神なんて存在しないのではないか

なぜ神は「沈黙」を貫くのか、と。これが本作のタイトルにもなってるんですね。

そして、その問いの答えが出ぬまま最終的に「転ぶ」ことを選んだ彼が踏み絵に足をかけたとき、ある声が聞こえます。

司祭は足をあげた。足に鈍い重い痛みを感じた。それは形だけのことではなかった。自分は今、自分の生涯の中で最も美しいと思ってきたもの、最も聖らかと信じたもの、最も人間の理想と夢にみたされたものを踏む。この足の痛み。その時、踏むがいいと銅版のあの人は司祭にむかって言った。踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生れ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ。

このとき、ロドリゴは神の存在を実感します。

そして、ここからうかがい知ることができるのが、神の存在意義です。この声は「お前たちの痛さを分つため十字架を背負った」と語っています。

つまり、神は困難に対して直接手を差し伸べてくれるわけではないけども、痛みを分かち合うために信仰する者の心のなかに存在する、と解釈できるのではないでしょうか。

痛みを分かち合ってくれる「なにか」があれば生きやすくなるというのは、宗教に縁のない自分にとっても理解し得る考え方です。

最終的にロドリゴは、このように語って神への理解をより深めます。

今までとはもっと違った形であの人を愛している。私がその愛を知るためには、今日までのすべてが必要だったのだ。私はこの国で今でも最後の切支丹司祭なのだ。そしてあの人は沈黙していたのではなかった。たとえあの人は沈黙していたとしても、私の今日までの人生があの人について語っていた

表面的には棄教して日本人の名前をもらって暮らし始めますが、決して信仰心を捨てたわけではないんですね。

一時は神の存在を否定することで、自分の人生そのものさえも無駄なものだったのではという疑念を持ってしまったロドリゴですが、運命を受け入れて生きていく決意をしたように見える終わり方でした。

人生で大切なものはなにか

【この段落のネタバレレベル★☆☆】(結末は分からないけど、途中の重要シーンを解説してます)

捉えられたロドリゴは、「お前が転べば、他の人が助かるんだ」と言われ、「信仰を貫くか人々を救うか」の二択を迫られます。

これを考えるうえで、ロドリゴやその師であるフェレイラにとって重要になったのは「自分が社会にとって有用であるか」という基準でした。

日本に到着した当初、司祭としての務めを果たすことができたロドリゴは、そのよろこびをこのように表現しています。

それは自分が有用だという悦びの感情でした。あなたの全く見知らぬこの地の果ての国で私は人々のために有用なのです。

一方、棄教したフェレイラは、キリスト教を布教するよりも西洋学問の知識を役立てることのほうが有用だとロドリゴを説得します。

生きていくうえで、「人の役に立てるかどうか」はとても大事な基準ですよね。

ぼくの好きなラーメンズのコントに『無用途人間』というものがあります。

「やるべきことをください」と望む、用途がなくなってしまった無用途人間。

生きていくうえで幸せを感じるためには、「自分は有用だ」という実感が必要なのかもしれませんね。

ロドリゴは、これまでの人生でもっとも美しく、もっとも聖らかだと信じてきたキリストへの信仰を表面的には捨て、民を救うことを選びました。

人々を救うことが司祭の仕事なのに、自分の信仰心を守るためにその生命を犠牲にしてはならない。

民を守ることが自分にとっての使命であり、「有用である」ということなんだと気づいたのではないでしょうか。

『沈黙』の感想まとめ

あらためてまとめると、小説『沈黙』からは

  1. 立場の異なる人との超えがたい壁
  2. キリスト教徒はなぜ神を必要とするのか→痛みを分かち合うため
  3. 人生で大切なことはなにか→「自分は有用だ」という実感

を学ぶことができました。

映画も観てみたい!

タケダノリヒロ(@NoReHero

つぎのページへ!
愛すべき人こそ愛するのが難しい。西川美和・小説『永い言い訳』感想

いいね!すると
更新通知を受け取れます。

Twitter で

IT・SNS

note - 千の丘の国から

コミュニティ開発・活動記録

ライフハック

恋愛

タケダノリヒロ

タケダノリヒロ

1989年生まれ。16年1月より青年海外協力隊としてルワンダで活動中。コミュニティ開発隊員として水問題に取り組みながらブログ更新してます。Africa Quest. comライターとしても執筆中。 ※当ブログ記載内容はJICAおよび青年海外協力隊の見解ではなく、個人の見解です。 [詳細]

ルワンダ生活残り2018年1月月11日
あと9 ヶ月です。