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女性への「デカい」は褒め言葉?文脈の重要性

time 2016/04/05

異文化コミュニケーションにおいては、「言語」だけじゃなくて「文脈」を理解するのが大事だよねというお話です。

海外のみならず、日本国内の人間関係にも当てはまるので、「自分には関係ないかな」と思った方ももうちょっとだけ読んでみてください。きっと思い当たる節があるはずです。

context

女性に面と向かってデカいと言う同僚

職場(青年海外協力隊の派遣先、ルワンダの村役場)にて。お茶を飲みながらAさん(男性、痩せ型)とBさん(女性、巨体)と話していると、こんなことを聞かれました。

A「ノリ、日本にも(Bさんを指して)これぐらいビッグな女性っているの?」

レディーの目の前でなんて無神経なやつだと思いました。

確かにBさんはかなりデカいです。腕も足もぼくの胴体ぐらいあります(まじで)。

ザーボンさんかドドリアさんかと聞かれれば、間違いなくドドリアさんです(知らない方はググってください)。

日本にはここまでデカい人はそういませんが「う、うん、まあまあいるかな…」と答えてしまいました。嫌な思いをしていないかなと思ってBさんを見てみると、全然嫌そうじゃありません。むしろ穏やかな笑みすら浮かべています。

A「じゃあ日本ではこういう人モテる?」

ノリ「(100%モテないな…そもそもボウズだしな…)んーどっちかというと痩せてる人の方がモテるかなー…でも好みは人それぞれだしねー…」

A「ルワンダでは大きい女性がモテるんだよ」

ノリ「そうなの!?」

だからあんな発言をされてもBさんは嫌そうじゃなかったんですね。むしろ褒め言葉だったのかも。

首都に行ったらお土産を買う?

同じくAさんとの会話。

A「昨日いなかったけど、どこ行ってたの?」

ノリ「キガリ(首都)に行ってたよ。JICA事務所に用事があってね」

A「What did you bring us(何か持って来てくれた)?」

ノリ「え、bring?」

A「うん、bring. bringっていうのは…」

ノリ「いや、言葉の意味は分かるんだけど…」

A「キガリに行ったら何かぼくらに買ってくるでしょ?

当然のような顔をして言われたので、こんな卑しいこと言う人だったっけ?と思って、ちょっとイラッとしてしまいました。

キガリまではバスで約一時間。料金も片道200円ぐらいで行けてしまいます。最初は慣れなくて「群馬から上京する」ぐらいの感覚でしたが、今では「横浜から東京に行く」ぐらいの感覚になりました。そんなちょっとの移動でわざわざお土産なんか買うわけありません。

改めて考えてみて冗談で言ったのかなとも思ったんですが、どう見ても冗談を言っている表情ではありませんでした。もしかしてそういうものなのかもと思い、再度聞いてみました。

ノリ「さっきの話だけど、キガリに行ったらお土産を買ってくるっていうのは、文化とか習慣みたいなものなの?」

A「そうだね。キガリに行ったらチョコレートとかクッキーとかを買ってくるものだよ」

どうやら、少なくともこの職場ではそういうものらしいです。

日本の会社で東北の支店に勤めていたとき、研修で東京本社に行ったり旅行で他県に行ったりした時はお土産を買ってきていたので、それと同じようなものなんですね。あまりにもキガリが身近なので、「お土産を買う」なんて選択肢は頭にありませんでした。

ぼくらにとってはたかが200円の交通費でも現地の人にしてみればそれなりの金額ですし(地方での軽い飲み代ぐらい)、地方の公務員がキガリに行く機会なんてめったにないですからね。

キガリに行かないと買えないものもたくさんありますし、同僚にとってはキガリに行くことが想像以上に特別なことだったようです。

「文脈」を共有する重要性

「ルワンダでは身体の大きな女性がモテる」という価値観や、「キガリに行ったらお土産を買ってくる」という風習をぼくが知らなかったがために、Aさんのことをただの「無神経なやつ」「卑しいやつ」と思ってしまうところでした。

異なる背景を持つ人とコミュニケーションを取っていて「何か変だな」と思ったら、今回のようにその意図を聞いてみることが大事なんですね。大抵自分が相手の文化や価値観を知らないだけで、相手に悪意はないことが多いです。

今回の”bring”の例のように、「単語の意味自体は分かるのに、それが何を意味しているのかが分からない」「この会話の流れからなぜその発言が出てきたのかが分からない」といったこともよくあります。それは相手と「文脈」を共有出来ていないからです。

ルワンダと日本、数十年間まったく異なる環境で育ってきたぼくらに共通の文脈がないのは当然ですよね。だから面倒でも「変なこと聞くなあ」と思われても、その言葉の背景にある価値観を知る必要があると思います。

日本人同士でもある文脈のズレ

これは日本人同士でもそうです。数年間会わなかった友達と久しぶりに話すと、「あれ、こんな感じだったっけ?」と感じることがありますよね。

なんとなく笑うポイントがズレていたり、当たり前だと思っていたことが相手にとっては当たり前でなかったり。そういったズレは違う学校に行ったり、違う仕事に就いたり、家庭を持ったり、それぞれのステータスが変わるほどに感じるものだと思います。

以前、地元の熊本に帰った時、小学校時代の友人にばったり遭遇しました。相手の熊本弁が懐かしく、「うわーなんか熊本弁懐かしい!」と言ったら、「都会人ぶらんで!」と言われてしまいました。

ぼくにしてみれば「懐かしい」=「ほっとする」という意図しかなかったんですが、その嬉しい感覚を共有できなかったのがちょっとショックでした。

4月になり、職場に新入社員が来たという方も多いはずです。ストレートに新卒で入って来てたら1993年生まれですか。89年生まれのぼくでもかなりジェネレーションギャップを感じる世代なので、昭和生まれの方はもはや違う惑星の生命体だと思って接するぐらいでちょうど良いと思います。

物心ついた時から携帯やパソコンがあったので、コミュニケーションに対する考え方が全然違うんです。「なんでこんなことも分からないんだ」と思わずに、その自分にとっての「当たり前」を共有してあげてください。もちろん逆も然りです。

同じ国民同士でさえこんなにすれ違うことがあるので、海外でミスコミュニケーションが起きてしまうのも当然ですよね。

無駄に傷ついたり傷つけたりするのを防ぐためにも、その言葉の背景にある「文脈」を共有する努力が大事なんだなと思う今日このごろです。

タケダノリヒロ(@NoReHero

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タケダノリヒロ

タケダノリヒロ

1989年生まれ。16年1月より青年海外協力隊としてルワンダで活動中。コミュニティ開発隊員として水問題に取り組みながらブログ更新してます。Africa Quest. comライターとしても執筆中。 ※当ブログ記載内容はJICAおよび青年海外協力隊の見解ではなく、個人の見解です。 [詳細]

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